恋はため息と涙でいっぱい・・・信繁様への真心ゆえに(長澤まさみ)終わりの始まり(段田安則)
安土城がいつ炎上したのかには諸説ある。
安土城といっても巨大な城郭であるために・・・全焼したという確証はない。
大きなパーツを考えても、天守閣、本丸、二の丸、城下町が存在する。
このうち、本丸は天正七年(1579年)には落雷で一度、焼失したという説がある。
天守と本丸は一体化されていたという説もあるが・・・信長の宗教的特殊性から天主台として別個に存在した可能性もある。
つまり・・・武将としての信長は本丸に・・・魔王としての信長は天主に存在していたかもしれない。
安土城は信長による築城以前は観音寺城の支城であったと言われる。
明智光秀は丹波国から京に攻め入り、その後、近江国の坂本城から、安土城を攻略した。
しかし、安土城を守備していた蒲生氏が織田一族を連れ、南の日野城に脱出したために・・・得たのは財宝だけだった。
明智軍はその後、琵琶湖岸を東に進み、丹羽長秀の佐和山城、羽柴秀吉の長浜城を制圧する。
長秀は四国攻め、秀吉は中国攻めのため・・・留守であり・・・ここでも丹羽一族も羽柴一族も脱出し・・・明智軍は無意味な占拠を続け、戦力を分散していく。
秀吉と光秀は六月十三日に山崎で決戦する。
安土城を守備していた明智秀満は敗報に接し西の坂本城に撤退する。
この時、放火があり、本丸が焼失したという説がある。
しかし、本丸出火が十五日だという記録があり、この時、秀満はすでに坂本城で秀吉指揮下の堀秀政軍と交戦中であったために・・・放火犯は別にいることになる。
伊勢国から出陣した織田信雄軍が、安土城の明智残党と交戦して炎上に至った可能性もある。
周辺の農民一揆、周辺の盗賊の略奪・・・様々な放火犯が推定される。
結局・・・安土城を燃やしたのが誰かどのくらい燃えたのかは不明なのである。
とにかく・・・本能寺の変から二週間くらいは安土城周辺は大混乱だったのだ。
秀吉による乱平定後、安土城は西の丸に織田一族を収容する。
秀吉が・・・天下の簒奪を決意したのはまもなくのことだったろう。
天正十三年・・・織田の天下を象徴する安土城を秀吉は廃したのだった。
可能性としては秀吉が燃やしちゃったなんてこともあるのじゃないか・・・と考える。
で、『真田丸・第6回』(NHK総合20160214PM8~)脚本・三谷幸喜、演出・木村隆文を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は早くも三枚目の「表裏比興者」こと真田昌幸と、その娘・松の夫である小山田茂誠の二大イラスト描き下ろし大公開でお得でございます。画伯ノリノリですがあくまでマイペースでお願い申しあげます。男性陣に比べて、とり、薫、松、こう、きり、梅などの女性陣が軽いなんていう方もありますが・・・それぞれが素晴らしい個性として描かれているわけですよねえ。これだけ・・・描き分けられている戦国女性群像も最近の大河では記憶にありません。真田家初代とも言える幸隆の室であったとり・・・信玄公の肝入りで正室となった薫、信幸、信繫の姉として兄弟の面倒を見て来たかのような松、真田本家の忘れ形見であるこう、真田家家老の娘であるきり、農民の娘である梅・・・それぞれがいい味出しておりまする。特にきりと梅は・・・信繫が高校生くらいである以上・・・高校生か・・・あるいは中学生なわけで・・・これは萌えるしかございません。初恋を秘めて・・・人質となるとりに付き添い敵城へ向かうきり・・・そのせつなさ炸裂でございましたな。
天正十年(1582年)六月十一日、北条氏政は滝川一益に本能寺の変後の親書を送り、同盟関係を確認。その裏で北条氏照軍は北上を開始。上杉景勝に通じた上野国の藤田信吉が反乱を起こし沼田城を攻める。城主・滝川益重は救援を待ち篭城。十二日、氏政は軍令を出し、氏直、氏邦、氏規らがおよそ五万人を動員。滝川勢力圏境界線に兵力を展開。十三日、一益は・・・由良、倉賀野、長尾、内藤、小幡などの上野衆を動員して沼田城を救援し、包囲中の藤田軍を撃破。天王山の麓、山崎で明智軍と羽柴軍が激突。明智光秀は撤退中に一揆勢に襲撃され自害。十四日、織田信孝は光秀の首を本能寺に晒す。安土城の明智秀満は敗報に接し坂本城に撤退。琵琶湖上を馬で越える伝説を残す。十五日、坂本城落城。明智一族は滅亡する。入江長兵衛は秀満の遺言を聞き、礼金として黄金三百両を入手する。十六日、北条勢は同盟を一方的に破棄し、滝川一益支配の上野国へ進攻を開始する。十七日、明智家の家老・斎藤利三は捕縛され即日、斬首。十八日、甲斐国主となった河尻秀隆は武田遺臣による一揆勢によって殺害される。森長可は海津城を放棄し、撤退戦を開始。
六月四日、徳川家康は三河国岡崎城から陣触れを発した。
伊賀越えを果たした者たちは・・・家康軍団の中核を為すものである。
変事を聞き、すでに、三河衆、遠江衆は臨戦態勢に入っている。
明智討伐の先鋒は重臣筆頭の酒井忠次と決まり、あわただしく先発する。
家康は服部半蔵忍びの軍団に周辺各国への斥候を命じる。
諸国を放浪した本多正信もまた忍びの軍団を持っており、甲賀衆や根来衆などの草が使いを三河に寄せてくる。
「明智の様子はどうだ」
岡崎城の家康は側室たちに緊張により疲弊した身体を揉ませながら近侍する正信に問う。
「安土の辺りをうろうろしているようでございます」
「あの男・・・少し・・・呆けてきたのではないかや」
「おそらく・・・うろたえておるのでしょう」
「やはり・・・のぼせおったか・・・」
「しかし・・・まあ、領地の丹波から・・・京を抑え・・・坂本から安土を獲るのは定石といえば定石」
「そりゃ・・・北国の柴田が恐ろしいのだがや」
「殿はいかがなさりまする」
「鳴海から尾張に入り、清州あたりで様子を見るつもりだがや、明智の出方次第で美濃から近江に討って出るのがよかろうず」
「甲斐や信濃については」
「まず、北条は上野に手を出す気だで・・・おっつけ、滝川が援軍を頼んでくるだに・・・駿府に手だしは控えるように申しておけ・・・甲斐の河尻には誰ぞ・・・使いを出す算段でや」
「本多庄左衛門では」
「信俊は織田家での覚えもめでたいで名案だに」
「河尻様にはなんと・・・」
「甲斐からの出陣を誘うか・・・それとも一時撤退を勧めるか・・・」
「庄左衛門にまかせてみては・・・」
「よきにせよ」
家康は岡崎周辺の軍勢がそろうと出陣する。
しかし、三河・尾張国境で各地からの出兵を待たなければならない。
本多信俊は甲斐国の旧武田家臣に不穏な動きがあることを察知し、徳川家の使者として河尻秀隆に美濃国への撤退を進言する。
だが・・・疑心暗鬼に囚われた秀隆は・・・信俊を六月十日に謀殺してしまうのだった。
家康は出陣前に報せを聞き、天を仰ぐ。
「次は岡部正綱に軍勢ひきつれて行かせよ」
十四日、鳴海城に進出した家康は・・・秀吉の勝利を知る。
「おったまげたでや」
「いかがなさいまする」
「忠次に一日、様子見させて・・・引き上げるのだわ」
「では・・・」
「ゆるりと甲斐を獲りにいくのだに」
十五日、甲斐国では一揆衆が旗揚げする。
家康は依田信蕃に信濃国内の旧武田家臣への呼びかけを命じる。
十八日に甲斐の岩窪館で河尻秀隆は一揆勢に攻め殺された。
二十日、家康は岡崎に戻り、二十一日には浜松城へと帰着する。
家康軍団は甲斐国境に集結しつつあった。
上州ではすでに北条と滝川の合戦が始っている。
関連するキッドのブログ→第5話のレビュー
| 固定リンク
コメント