腰抜けは何度も死ぬかと思うが本当に死ぬのは一度きり(内野聖陽)奥入りのお許しが出たのは六月(長澤まさみ)
「死ぬかと思った」と言う時には人は死んでいないのである。
戦国時代・・・人はいつ死ぬかわからなかった。
食事に毒を盛られれば死ぬし、寝首を掻かれたら死ぬのである。
徳川家康は・・・長男の信康を切腹に追い込んでいる。
幼少時代を今川家の人質と過ごしている家康は・・・常に「死」を意識していただろう。
誰かが裏切れば即死というのが人質というものなのだ。
今川氏の武将として初陣を飾ってから三年目が桶狭間の戦いである。
数え十八歳の家康は先鋒として敵陣を突破している。
戦は今川義元の戦死により大敗北である。
家康の自害未遂はこの時から始る。
しかし・・・結局、死にきれずに・・・独立武将としての人生を開始する。
三河統一戦では足利将軍家に連なる吉良氏を討ち、三河一向一揆を鎮圧する。
すべて・・・死闘である。
織田家との同盟により姉川の戦いに参戦し、以後は織田家の東の盾となり・・・武田家との抗争が開始される。
三方ヶ原の戦いでは武田信玄に惨敗を喫し・・・浜松城まで大敗走を演じる。
家康は当然のように用心深い性格になっていっただろう。
それでも・・・「死」は常に迫ってくる。
本能寺の変によって・・・大混乱に陥った堺から京へと続く道で・・・伊賀国から伊勢経由で帰国するという選択をした家康は・・・。
またしても九死に一生を得るのだった。
「死ぬかと思った」けれど・・・しぶとく生き残り・・・ついには天下を統一する。
家康の苦難は・・・まだ序の口である。
で、『真田丸・第5回』(NHK総合20160207PM8~)脚本・三谷幸喜、演出・木村隆文を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は上杉謙信の後継者で戦国末期を生き抜く上杉景勝の描き下ろしイラスト大公開でお得でございます。素晴らしいインターネットの世界のない時代、電信電話もなく、通信手段は狼煙や動物を使ったものの他は人々の移動する時間が情報伝播の基本・・・遠ければ遠いほど「それ」を知ることが遅くなる。そのもどかしさにこだわって描かれていましたよねえ。そういう不便さを描くことがピンとこない時代になりつつあるのかもしれませんが・・・。京と安土城の距離、京と堺の距離、京と松尾(真田)城の距離、京と厩橋城の距離・・・そういう地理的知識が一般常識とは言えないということもございますしねえ。少なくとも以前は一部マニアだけが知っているだけだったような気がします。そういう史実を生かした作劇の数々、そしてその切れ味・・・。事件の実態を知るために現場に向かう信繫。危機を知らずに奥入りに微笑む高梨内記の娘。右往左往する旅先の家康一行。その中で冴える服部半蔵の体術。そして明智勢をなぎ倒す本多忠勝の武芸。変事を知らずに「夢の果て」を語る滝川一益。これぞ大河ドラマでしたな。去年の悪夢が嘘のようでございますねえ。
天正十年(1582年)六月二日未明、近畿管領・明智光秀の率いる丹波衆が織田信長の宿営する京の本能寺を急襲。ほぼ同時に織田家嫡男・信忠が滞在する二条城も襲い、信長・信忠親子は自害。信長の弟・長益は近江国・安土城に向けて脱出する。三日、柴田勝家は上杉方の越中国魚津城を占領。徳川家康は伊賀越えを開始。四日、光秀は坂本城を中心に近江国内をほぼ平定。家康は伊勢から三河国岡崎城に帰着。羽柴秀吉は備中国で明智方の密使を捕縛。高松城で清水宗治切腹。五日、光秀は安土城に入城。秀吉の長浜城、丹羽長秀の佐和山城を占拠。長秀は織田信孝とともに摂津国野田城で光秀の婿・津田信澄を殺害。秀吉は中国大返しを開始。六日、柴田勝家は本能寺の変を知り、魚津城から撤退開始。七日、上野国・厩橋城の滝川一益に急報が届く。秀吉は播磨国姫路城に帰陣。八日、森長可は越後国春日山城攻めを中止し信濃国に撤退開始。九日、光秀は京に戻る。秀吉、姫路城を出陣。十日、秀吉は兵庫に着陣。光秀は大和国の筒井順慶に援軍を求める。十一日、厩橋の長益は上野国衆を集め能興行をした。秀吉は尼崎に着陣する。十二日、摂津国富田に着陣した秀吉の元に反明智軍が集結する。
明智光秀の支配する丹波・山城・近江の忍び衆は京周辺に集合し、結界を張っていた。しかし、明智忍びを上回る各地の忍び衆が京の都には滞在しており、本能寺、二条城を中心とした焼き打ちによる火災から逃れる避難民にまぎれて・・・変事の情報は周辺諸国に伝播している。光秀は各地の国衆に向けて密使を派遣するがそれよりも早く、信長の遭難の報は拡散していた。周辺国の武将たちから真相探索のための密偵が京に向かって放たれ、京周辺には忍びたちが充満する。真田忍びにおいては琵琶湖・諏訪湖の地下水路を使った河童衆による急報が河原綱家から真田昌幸に伝えられた。
六月三日の夜・・・松尾城の忍び小屋には・・・真田忍びの頭である真田幸村がすでに控えていた。
「京周辺では明智忍びとその他のものの暗闘が繰り広げられているようでございます」
「愚かなことだな・・・明智光秀とやらは・・・信長を討ってどうするつもりだったのだ」
「さて・・・信長を討てば・・・世間は喝采すると・・・思いこんでいたのでしょうか」
「思いこみが激しいというのは恐ろしいものだな」
「朝廷の一部勢力が・・・光秀を唆したのでございましょうか」
「腐れ公家どもか・・・京などというところは魑魅魍魎が跋扈しておるからのう・・・」
「信長公を怨む筋がないわけではございません」
「手を下したのは・・・あの者だという話もあるが・・・」
「真偽のほどは定かではありません・・・あの方は・・・忍びの中の忍びなれば・・・影さえ残しませぬゆえに・・・」
「まあ・・・よい・・・問題は・・・この後だ・・・厩橋城の周囲には・・・」
「すでに鈴木衆の忍びたちが潜んでおります」
「安土城に誰かをやらねばならんな・・・」
「鎌原衆を出しました」
「そうか・・・」
「くのいち衆は銀杏が率いて参ります」
銀杏は昌幸の三女で長篠の戦いで戦死した鎌原重澄の嫡男で真田家老臣の鎌原重春の妻である。
「まあ・・・信繫も・・・松も・・・ぬかりはしまいが・・・戦となれば・・・何が起こるかわからんからな」
「安土には蒲生衆がおりますれば・・・明智軍も・・・蹂躪するというわけには参らぬでしょう」
「信長の家来たちも・・・簡単には降るまいて・・・」
「誰が・・・明智を討伐するでしょうか」
「さあな・・・柴田か・・・丹羽か・・・滝川殿は遠すぎる・・・毛利と対峙しているという羽柴も難しいだろう・・・誰が残るにしろ・・・無傷というわけには参るまい」
「戦の世に戻りますな」
「それは間違いなかろう・・・」
その頃・・・徳川家康は伊賀を目指して京への道から進路を変更していた。
僅かな手勢だが・・・先導するのは伊賀忍者の二代目服部半蔵。殿を守るのは戦国最強を謳われた本多忠勝である。
その殺意に落武者狩りの一揆勢も沈黙する。
光秀は家康の生け捕りを画策していた。できれば三河・遠江・駿河の三国の太守である徳川家を味方につけたいのである。
京路から消えた家康が伊賀を抜け伊勢に出ると読んだ光秀は筒井順慶配下の柳生衆に追跡を命じる。
柳生石舟斎の子・久斎と徳斎の兄弟は柳生忍びを率いて伊賀上野から伊勢へと結界を張る。信長の伊賀攻めにより壊滅した伊賀の忍び衆の生き残りは半数が半蔵の支配下に入り、残された恩賞目当てのものたちが柳生の誘いに乗った。
「殿・・・囲まれました」と半蔵が囁く。
「圧し通らんでどうならあ」と家康はつぶやく。
柳生久斎が叫ぶ。
「徳川様とお見受けしました・・・明智光秀配下筒井順慶の手のものでございます」
「・・・」
「どうか・・・御同道くだされ」
「ちょーけるだに(笑わせることだよ)」
家康は本多忠勝を振り返る。
忠勝は進み出ると跳びながら槍を三度繰り出し、一瞬で三人の小者を屠ると最後の一人を串刺しにして、槍を旋回させ、投げ飛ばした。
即死した身体は彼方の林に落下する。
柳生衆は沈黙し・・・家康一行は去って行った。
「恐ろしいの・・・」
「命あってのものだねや」
「こうなりゃ、父上に申して筒井が明智を見限るよう進言せねばならぬ」
「そうじゃのう」
徳川一行を見送った柳生兄弟はしばらく震えが止まらなかった。
安土城の蒲生賢秀は濃姫ら織田一族を連れ、三男レオン氏郷の居城・日野城に脱し、甲賀忍び衆による結界を張っていた。
明智の忍びはその結界を破ることができない。
明智光秀の野望はすでに闇に包まれ始めている。
関連するキッドのブログ→第4話のレビュー
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コメント
伊賀越え
面白かったですな
主君が決めたから先頭立っていくものの
いつのまにか、しっかりした家臣たちの後をついていく主君
なんともいいですな
押し通る姿をみて、三方原でもあのような行動をしてたのだろうとその光景が思いうかびます
草刈正雄さんのインタビュー記事で
真田太平記の撮影時、丹波哲郎さんは当時
63歳で
今の草刈正雄さんがおなじ年齢という事で
意識されるとありましたが
時折丹波さんに似てるような行動をしてるのが
とても印象的ですね
ここから表裏比興の者と評される昌幸が
本領発揮されるようで実に楽しみでございます
投稿: ikasama4 | 2016年2月10日 (水) 23時49分
脚本もさることながら演出のアイディアも
素晴らしいですねえ。
服部半蔵が「伊賀者」であることを
上に跳ぶのではなく下に跳ぶことで表現する・・・。
武芸者である本多忠勝は
負けじ魂でえいやと身を躍らせる。
そして若侍たちに囲まれて
やぶれかぶれで家康が・・・。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁ」と叫びながら
落ちていくカットはありませんでしたが
一同爆笑の展開でございました。
必ずある死後の世界で
「はっはっは、クサカリ~、お前やるじゃないか」
と丹波様が豪快に笑っている姿が
妄想できますねえ。
表がすでに曲者なのに
裏はさらに曲者という
真田昌幸の肖像・・・。
こうして歴代がつみあげていく虚像が・・・
平成の世に生きる我々に
「夢とロマン」を与えてくれるのですよねえ。
「真田丸」に乾杯でございまする。
投稿: キッド | 2016年2月11日 (木) 00時23分