身を悶え泣けど叫べど甲斐ぞなき(早見あかり)ものの哀れの限りなり(北村有起哉)
「出世景清/近松門左衛門」(1685年)では景清を慕う女が二人登場する。一人はドラマ「ちかえもん」でお初が感情移入する景清の正妻ともいうべき熱田大宮司の娘・小野姫(おののひめ)・・・。お尋ねものの景清のために父娘ともども官憲の責め問い(拷問)を受ける身の上である。
一方で京の都の遊女・阿古屋を愛人とする景清は二人の子供を儲けるまでになる。
ひとときの小野姫への嫉妬心によって・・・景清を官憲に売り渡した阿古屋だったが・・・景清が捕縛されたと知り、許しを求めて牢を訪れる。
景清は許しを与えず・・・阿古屋は二人のわが子を殺し、自害して果てる。
ドラマ「ちかえもん」で平野屋忠右衛門が心に鬼を棲まわせることとなるのがこの場面である。
怒りを鎮めることが出来ずに愛する女と子供たちを死に追いやったのが自分自身であるにも関わらず・・・景清は世を呪うのである。
すべては・・・栄華を誇った平家が滅び・・・仇と狙った源頼朝の暗殺にも失敗し・・・正室と舅のために牢に繋がれた景清の・・・身の不運を嘆く男の負の情念が・・・自分を裏切った愛人に集中した結果である。
景清は身悶えて鬼となり・・・その心が・・・平野屋忠右衛門に呪いをかける・・・。
つまり・・・平野屋が悪事を働くのも・・・お初の父親が冤罪で切腹することになるのも・・・お初が遊女になるのも・・・お初が仇討ちに夢中になるのも・・・全部、ちかえもんの創作という悪行三昧の結果なのであった。
しかし・・・いつの時代であろうともフィクションに文句を言われても困るのだ。
で、『ちかえもん・第6回』(NHK総合20160218PM8~)脚本・藤本有紀、演出・川野秀昭を見た。手っ取り早く・・・仇討ちを・・・と天満屋の遊女・お初(花田鼓→早見あかり)を唆す不孝糖売りの万吉(青木崇高)・・・。うわあ・・・ドラマ「ちかえもん」との別離の日が近づいてきたのである。毎週木曜日にお茶の間で正座することもなくなってしまうのである。何より、うっとりするほど美しいお初に逢えなくなってしまうのである。なんと無常な・・・神も仏もないとはこのことなのである。だけど悪魔なのでそれでいいのだ。
色茶屋・・・客が大金払って遊女と色事を楽しむ社交場・・・天満屋のお初の呼び出しに応じたネズミの親分こと忠右衛門(岸部一徳)とお供の喜助(徳井優)・・・。
立会人の万吉を挟んで正装したお初は親の仇であるネズミの親分を怨みのこもった目で見つめる。
お初の殺意に座敷を覗くちかえもんこと近松門左衛門(松尾スズキ)はうっかり感応するのだった。
「親の仇」と小刀振りかざすお初。
「旦那様、危うし」と身を呈すネズミの子分こと番頭の喜助・・・。
凶刃は喜助の腹を刺す。
「喜助・・・」
「旦那様・・・実を申せば・・・この私・・・昔、旦那様に助けられた狸でございます」
「なんと・・・狸の恩返しとは・・・」
・・・などというちかえもんの妄想による予告篇詐偽を越え・・・本題に入るネズミの親分。
お初に大金を差し出す。丁銀の束はざっと二百万円ほど・・・女一人が新しい暮らしを立てるには充分な額である。これとは別にネズミの親分は天満屋の女将に掛け合い、借金を帳消しにすると申し出る。
つまり・・・お初を遊女の身から解放すると言うチュー衛門。
条件は大坂の街からお初が退去することであった。
「お初・・・お前が結城格之進の娘であると知ってのことだ」
「・・・」
「最初は・・・わからなんだが・・・倅から身請け話を聞き・・・お前のことを思い出した」
「・・・」
「え」と驚くちかえもん。
万吉は何を思ってか無言である。
そこへ・・・お袖(優香)がやってくる。
「大変や・・・徳兵衛様のおなりやで」
「ええ」
ちかえもんはお袖に命じられ・・・徳兵衛(小池徹平)の足止めという大役に挑む。
「折り入っての話って無茶振りやがな」
「折り入っての話とは・・・」
「金貸してください・・・お袖を身請けしたいんや」
「なんと・・・」
「アホな話とは思われますでしょうが・・・」
「いいえ・・・わかる・・・今の私にはわかります・・・お初と出会った私には・・・」
アホなので三倍ピュアなハートで応じる徳兵衛だった。
「行かなくちゃ・・・お初に会いに行かなくちゃ・・・」
「お初のことは諦めてくだされ」
「お初を諦めろとは・・・」
「お初はもう別口で身請けが決まったのです」
「そんな馬鹿な・・・」
「大金積まれて天満屋の女将が承知したこと・・・お初は若旦那に会わせる顔がないと・・・」
「嘘だ・・・」
一方・・・お初は・・・。
「肝心のお話がまだすんでまへん」
「・・・」
「一言・・・父にわびてください」
「・・・」
そこへ・・・血相を変えた徳兵衛が乱入。
無造作に置かれた金・・・唖然とする父親・・・小刀を構えるお初・・・。
徳兵衛はたちまち誤解するのだった。
「江戸の寿屋の縁談なんぞ持ちだして・・・自分がお初を身請けしようという魂胆だったんやな・・・大人は汚い」
気を殺がれるとともに・・・呆気にとられ・・・徳兵衛を憐れむ・・・めまぐるしいほどに変わるお初の表情・・・見事だ・・・見事だぞ・・・あかりん。
「大人は汚い~」
連打である。
若旦那の勘違いに便乗して・・・この場を丸く収めようとするちかえもん。
「若旦那の言う通り・・・平野屋さんも大人げない・・・ここは一旦、おかえりになったらよろしかろ」
「そうですな」と乗るタヌキの喜助。
意味不明のまま収束しようとした事態をとどめる万吉の必殺の相関図攻撃。
「なんてことを・・・」
「仇討ちの立会人として当然のことをしたまでや・・・」
お初の父親を罠にはめた徳兵衛の父親。
武士の娘として生まれながら遊女に身を落したお初。
そんなこととは露知らずアホな若旦那となった徳兵衛・・・。
親の仇であるネズミの親分に近付くために子ネズミに近付いたお初。
すべての人間関係を読み解く徳兵衛・・・。
「あなたの過去など知りたくない・・・けれど」
「済んでしまったことは仕方ない・・・けれど」
「あの人のことは忘れてほしい・・・けれど」
「私が聞いても言わないでほしい・・・けれど」
お袖も事情を知る。ちかえもんは切羽詰まる。ネズミの親分子分は肩を落す。お初はどうしていいかもうわからない・・・。
せつないよ・・・お初・・・せつないよ・・・である。
「すまなかったなあ・・・お初・・・」
立ち上がった徳兵衛はお初から小刀をとりあげると自分を刺そうと振りあげる。
「馬鹿なことを」
思わず止める父親の人情。
「お初の父親は殺された・・・仇の息子が死んだらおあいこや・・・」
「やめい」
揉み合う親子に割って入ろうとするタヌキを見て・・・危険を感じるちかえもんである。
「危ない・・・タヌキ」
勢い余ったちかえもんはすっ転び、その臀部を襲う凶刃。
「痛」
のけぞったちかえもんは鴨居に額を打ち付ける。
「痛」
奇跡のソフト・ランディングか・・・。
「大丈夫」と駆け寄るお袖。
大騒ぎである。なんとか・・・小刀を息子の手から奪い取った忠右衛門だった。
一瞬の静寂・・・。
「まだや・・・まだ・・・隠されていることがある」
「え」
「ワカメ鉢巻や」
「岡目八目な・・・囲碁で見物人の方がプレイヤーよりも冷静に状況が判断できるというたとえな・・・ワカメを頭に巻いてどないすんのや・・・ラゴンか」
「黙ってみとったら・・・ネズミの親分が隠しごとをしているのがわかったんや」
「すべては・・・御料様のためです」
「喜助・・・」
「いいえ・・・若旦那にも・・・そろそろ話す頃合いでしょう」
「お母はんに何の関係が・・・」
「若旦那のお母上は・・・とても優しい方ででした・・・旦那様とも仲睦まじく・・・しかし・・・労咳を患っておいででした」
「・・・」
「お医者様が言うには・・・朝鮮人参が効くとのこと・・・しかし・・・朝鮮人参は専売品・・・とても高価で・・・一介の醬油問屋には高嶺の花・・・旦那様は御料様にそれを与えることができませんでした」
「何故・・・お母はんを助けてくれなんだ」と父を責める幼い徳兵衛の記憶・・・。
「悲しみを紛らわせようと・・・ふらりと入ったのが・・・」
貞享二年初演の「出世景清」・・・。
鬼気迫る十八年前の竹本義太夫(北村有起哉)の節回し・・・。
二人の息子を自ら殺し、自害した愛人の骸を見下ろした・・・景清。
「景清は身を悶え泣けど叫べど甲斐ぞなき・・・神や仏はなき世かの・・・さりとてはゆるしてくれよ・・・やれ兄弟よ我妻よと・・・鬼を欺く景清も・・・声をあげてぞ泣きゐたり・・・ものの・・・哀れの極限なり・・・」
貧しさが・・・妻を殺したと心得た忠右衛門は・・・鬼の商人となるのだった。
「銭や・・・銭や・・・銭がすべてなんや」
やがて大商人となった忠右衛門は・・・長崎、大坂の役人たちを抱き込んで・・・朝鮮人参の闇取引に手を染める。
人形浄瑠璃の同好の士である結城格之進(国広富之)は悪い噂を聞き・・・忠右衛門に忠告する。
「友を訴えるような真似はしたくない」
「サムライに義があるように商人には利がおます・・・」
「聞き分けのない奴や」
「そちらこそ・・・」
「武士の一分がたたぬのだ・・・」
「武士の一分がたたぬ世や」
こうして喧嘩別れした二人・・・。
しかし・・・意を決した格之進の訴えが上役に取り上げられることはなかった。
上役が・・・闇商売にどっぷりとつかっていたのである。
「旦那様は・・・けして・・・格之進様を・・・貶めるような真似は・・・」
「格之進を救ってやることが出来なかったのだ・・・それは同じこと・・・」
お初は大人の事情を知り・・・落胆する・・・。
「旦那様は・・・御寮人様と同じように・・・格之進様の供養を続けられておるのです」
平野屋の二つの位牌の謎解きである。
「これは・・・遅くなったが見舞い金や・・・貴女には・・・新しい暮らしをはじめて欲しい」
しかし・・・お初は金を差し戻す・・・。
名場面である。
「私は・・・結城格之進の娘・・・どこで何をしていようが・・・それに変わりはありませぬ・・・父が拒んだお金を・・・いかに受け取ることができましょうか・・・たとえ苦界に身を沈めようとも・・・それが宿命と思いきり・・・親に忠孝を尽くすのが子の務め・・・名こそ惜しむが武士の一分」
お初のせつない覚悟に胸打たれる一同だった・・・それが江戸時代の人情なのである。
意地と意地とが鬩ぎ合いペンペン草が生えるのだ。
座敷から・・・一人・・・また一人と役者が去り・・・残された徳兵衛とお初。
「申し訳ございませんでした」
「お初・・・惚れなおしたぜ・・・身体に気いつけや」
散り落ちた梅の花・・・。
舞台裏では・・・油問屋の黒田屋九平次(山崎銀之丞)が舌打ちする。
「長い・・・猿芝居を見せられたものよ・・・」
やがて・・・その顔に凄惨な笑みが浮かぶ。
「なんや・・・武士だろうと・・・商人だろうと・・・えらいつまらんもんやなあ」とちかえもん。
「そうか・・・」とお初に思いを残しながら飄々とする万吉。
「息苦しくてかなわんわ・・・」
「武士はくわねど高楊枝でわては浪速の商人だすやなあ・・・」
「不孝糖売り歩いているお前の方がマシに思えてきたわ」
「ちかえもん・・・ようやくか」
その頃・・・ちかえもんの母の喜里(富司純子)は竹本義太夫をもてなしていた。
「はっきり・・・言ってくだされ・・・息子は・・・もうダメなんでしょうか」
「そんなことは・・・ありません・・・近松様は日本一の浄瑠璃作者ですから・・・」
「・・・うれしい」
子を思う母は涙をこらえるのだった。
喜里もまた武家の母なのである。
ちかえもんはもう一度・・・相関図を見直す。
遊女たちの悲しい運命に心を奪われつつも・・・ちかえもんもまた・・・創作の鬼を心に飼っているのだった。
「もう・・・ひとひねり・・・展開が欲しいよねえ」
天満屋の座敷にはお初と・・・黒田屋九平次。
「平野屋ののっとりは・・・やめてくださりませ」
頭を下げるお初を見下ろす九平次。
「ふふふ・・・たらしこむつもりで・・・徳兵衛に心奪われたか・・・」
「・・・」
「平野屋を救う手立てはただ一つ・・・俺に身請けされることだ」
「だれが・・・あんたなんかと・・・」
「そうなりゃ・・・若旦那はおしまいだ」
「・・・なんと卑怯な」
「ふふふ・・・良い顔だ・・・惚れた男のために嫌な男に身を任せる・・・そういう筋書きが俺の大好物なのよ・・・」
お初の身体を抱きすくめる九平次・・・。
お初には為す術もない・・・。
十の年から色町に売られ・・・男を喜ばす手管を仕込まれて・・・夜を重ねた遊女の身。
汚れちまった悲しみに・・・梅も桜もただ過ぎ去って・・・。
死んで花実は咲かないが生きても恥を晒すのみ・・・。
せつないよ・・・お初・・・せつないよ・・・。
くりかえしになるがプライドがないので大丈夫なのである。
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