他人の気持ちなんてわからない(福山雅治)約束なんて破るためにあるのよ(夏帆)守るためじゃ(藤原さくら)
歌というものを嫌いな人がいる。
歌というものを好きな人がいる。
自分で歌うのは好きだが他人の歌を聴くのは嫌いだという人がいる。
そういう人がいると・・・ドラマでの歌のシーンはマイナス要素になってしまう。
人が自分の好きなことを追及するのはいい社会だと誰かが言う。
しかし・・・嫌いなものをいつか好きになっていくのも人生ではないのか。
なるべく優しい社会が時々、嫌いになることがある。
だって・・・社会は本来、厳しいものじゃないのか・・・と思うから。
で、『ラヴソング・第4回』(フジテレビ20160502PM9~)脚本・倉光泰子、演出・平野眞を見た。物語にはダレ場というものがある。状況を説明するために必要らしい。もちろん・・・そこに映る人間が魅力的であれば・・・どれだけ退屈な場面でも・・・それなりに耐えられる。そのためにスターが起用されるという考え方もある。ただし・・・ダレ場であってもそれなりに注意すべき点はある。たとえば・・・主人公の「善」を際立たせるために・・・脇役に「悪」を配置しすぎると・・・話が曇る場合がある。
もちろん・・・それもまた「説明」の一種なのである。
今回で言うと・・・うさんくさい音楽制作会社のスカウトマンである水原亜矢(りょう)の設定が甘い。
ライブハウス「S」のステージで佐野さくら(藤原さくら)の「歌」を見出す役割であるが・・・ステージ上のさくらの小児期発症流暢障害(吃音症)を聞き逃したのか・・・それともステージ上だけの緊張による所謂あがった状態と考えたのかが・・・微妙なのである。
上司の桑野喜和子(りりィ)は何故か職場でギャンブルに興じている。
大物を見出したことを「ハネマン」と表現するスカウトマン。
スカウトマンがどれほど・・・さくらの歌に熱中したのかがわからない。
いかにも・・・さくらと神代広平(福山雅治)のパートナーシップの障害として設定されたので・・・スカウトマンや上司の人格は二の次の描写と感じられるのだ。
さくらは結局、「大切な約束」を破ってしまうのだが・・・桑野と水原があまりにも悪い印象で描かれているために・・・さくらがチャンスを逃がしてしまったようには見えないのだった。
つまり・・・ドラマとしてはそれでいいのか・・・という話なのである。
今回は演出家がどちらかといえば・・・淡々としているタイプなので・・・ダレ場が完全にダレているような気がします。
レコード会社が悪で・・・アーティストが善なんて・・・陳腐にも程があるものな。
もちろん・・・本質的にはそうではない。
いい年して・・・若い女(石川恋)と朝からイチャイチャしている人生を投げた男・・・広平。
音楽の神に見捨てられた以上・・・女性との行為に没頭はするが・・・愛を語ったりはしないのである。
広平にとって「愛」は神聖な行為ではないのだ。
つまり・・・ベッドを共にした相手を人間とは思っていない・・・偽善者である。
それを悪と感じなければ・・・音楽プロデューサーらしい桑野が・・・「たぐいまれな才能をつぶした極悪人」として広平を糾弾する心情が見えてこない。
単なる意地悪なおばさんになってしまうんだな。
それが誤解なのか・・・それとも広平の本質なのかで・・・このドラマはまるで違う方向に向かうわけである。
その点をはっきりさせるとドラマが終わってしまうようでは・・・アレなんだよね。
もちろん・・・広平の心を黒くした「宍戸春乃事件」の全貌を「謎」としてひっぱりたい気持ちもわからなくはないが・・・お茶の間は気が短いのである。
本物だった春乃と・・・偽物だった広平ということで本当にいいのか・・・それで話が面白くなるのか・・・非常に危うい気がします。
何故か・・・広平の引越しを手伝うまでに仲良くなった天野空一(菅田将暉)は「S」で謝礼代わりの食事をふるまわれる。
そこへ・・・スカウトの水原がやってくる。
広平は・・・さくらと水原の顔合わせをセッティングする。
「シンガーとしてのプロデビュー」の話を聞き・・・空一は舞い上がるのだった。
さくらは部屋でギターの練習に熱中している。
姉代わりの中村真美(夏帆)はさくらをからかう。
「随分・・・熱心じゃねえ・・・」
「うううう上手くなりたいもの・・・」
「失恋したくせに・・・」
「てででも・・・ひひ一人でも歌えるようになりたい」
「そうか」
そこへ・・・空一が乱入する。
「スカウトがきた・・・」
「なんで・・・あんたがそんなこと・・・」
「あの人の引越し手伝った」
「二人は別れたの?」
「なんだか・・・大人の世界では・・・恋人じゃなくても・・・一緒に暮らすんだってさ」
「・・・」
広平と宍戸春乃(新山詩織)の妹の宍戸夏希(水野美紀)の関係性もお茶の間的には微妙に隠蔽されている。
夏希が広平に特殊な感情を抱いているのは明らかだが・・・広平はそれを知って無視しているのか・・・よほど鈍感なのか・・・同志として捉えているのか・・・そういうものは冒頭の眼鏡っ子と同様に人でなしと善人の狭間で揺れている。
眼鏡をとったら美少女的に歌ったら吃音という悪い声が美声となる・・・少女マンガ的展開とアンバランスなのである。
まあ・・・初めての連続ドラマだからな・・・ではすまない部分だ。
「よかったじゃない・・・まだ・・・脈ありじゃいね」
「ででも・・・もう・・・カカカカカウンセリングしかしないって約束した」
「約束なんて破るためにあるんじゃわい」
「まままま守るためじゃあ」
真実は微笑んだ。
真実は・・・さくらを慈しむ。
さくらは・・・真実にとって・・・肉親以上の妹分なのである。
しかし・・・親に捨てられた子供の気持ちを誰もが理解できるわけではない。
真実がさくらに抱く気持ちも本当は不透明なのである。
ここまでスルーしてきたが・・・広平がカウンセラーとして勤務する病院の入院患者に湯浅志津子(由紀さおり)という老女がいる。はっきりと説明はされないが・・・末期癌で死期が近いのだろう。
「私には夫の他に好きな人がいた」
・・・などという艶話を広平に話す志津子はどこか精神に変調をきたしているらしい。
「看護師が私に毒を点滴するの」などと言って騒いだりもする。
広平は若い看護師(武田玲奈)を慰める。
「君はいつも優しいからあの人は君に甘えているのかもしれない。死を間近に控えた人の気持ちがどんなものか・・・実際にはわからない。けれど君にはあの人にいつものように優しく接してもらいたい・・・」
認知症患者の言うことには肯定的に応じるのが望ましいという見識がある。
しかし・・・その言葉の空虚さを思うと人生に嫌気がさす人もいる。
呆けた老女はクソババアそのものだからである。
しかし・・・真実の気持ちをぶつけたところで・・・空虚なことには変わりはない。
そういうやるせなさが全編に漂うこのドラマは素晴らしいとも言えるし・・・エンターティメントとしてはどうなんだ。
水原はさくらと会い、広平も同席する。
さくらは炭酸水を炭酸水と知らずにのみむせる。
水原はさくらが吃音症であると知り・・・商品化を危ぶむのだった。
「施設育ちで・・・吃音症か」
桑野はウイークポイントが時にはセールスポイントであることを心得ているようだ。
しかし・・・資料の中に伴奏者の広平の名を発見し眉をひそめる。
桑野は「宍戸春乃事件」の関係者だったらしい。
桑野は広平を急襲する。
「あの子とどんな関係なの」
「ただの傍観者ですよ」
「あなたの関係者なら・・・私は手を引くわ」
「私はただの臨床心理士です」
「才能のあるものには・・・かならずそれをつぶそうとするものがつきまとうものよ・・・かってのあなたのようにね」
「・・・」
さくらに再び水原からの連絡が入る。
さくらは・・・救われたような気分になる。
さくらは広平と屑かごに空き缶を投げる勝負を挑む。
さくらは一度で入れ・・・広平は外す。
「もっかい・・・」
さくらは広平が成功するまで続けさせる。
さくらは・・・甘える。
失われた父親を広平に見出す。
遊びをせがむことが・・・さくらにとってせつない愛情表現なのである。
広平は御褒美を与える。
しかし・・・さくらを性的対象とはしない。
広平の心を疼かせる特別な輝きをさくらは持っている。
その聖域に踏み込むことはできないのだ。
さくらの付き人を買って出る空一。
しかし・・・唐突に渡辺涼子(山口紗弥加)が関与する詐欺まがいのビジネスでアルバイトを始めた空一は・・・トラブルに巻き込まれ・・・さくらは水原との約束を反故にする。
身柄を引き取りに来た真実は空一を詰る。
「せっかく・・・さくらが前を向こうとしているのに・・・あんたが足をひっぱってどうすんのじゃ」
「勘弁してつかあさい・・・」
「それじゃ・・・すまないんだよ」
事情を知った広平は桑野を訪ねる。
「あんたは関係ないんだろう」
「しかし・・・一度、あの子の歌を聞いてやってほしい」
「ギターが少しばかり引けても・・・楽曲をそこそこ仕上げても・・・それじゃ食っていけない・・・あの子の歌は特別なのかもしれない。彼女がそうだったようにね・・・でも、結局・・・才能のないものにひきづられて・・・落ちていくことになるのさ・・・知り合いが傷害事件を起こすような子には・・・運がない・・・運がなけりゃそれまでなんだよ・・・この世界じゃ」
沸き上がる・・・なんらかの感情を・・・必死に抑え込む広平だった。
さくらに泣いてわびる空一。
「なななな泣くことないよ」
「でも・・・俺はとりかえしのつかないことを・・・」
「きききき気にすることなんて・・・ない」
さくらに慰められ・・・気持ちが爆発した空一は・・・さくらの唇を奪うのだった・・・。
その頃・・・広平も・・・抑えきれない衝動を抱えていた。
聖なるものを・・・守らなければならない。
さくらの歌を・・・。
それが愛と呼べるものなのかどうか・・・お茶の間はもちろん・・・広平にも定かではないのである。
ダレ場とはいえ・・・定かでないことが多過ぎる上に・・・さくらに歌うチャンスを与えないとは・・・がっかりだな。
来週は・・・母の日明けか・・・。
カレンダー的には微妙なところだな・・・。
まあ・・・本題的には父の日・・・月9としてはアレだけどな。
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