隙を見せれば井戸の底よ・・・恋に浮かれてお熱をあげて冷えたら静かにあの世行き(長澤まさみ)
真田信幸と本多忠勝の娘・稲姫との婚姻については諸説あるが・・・婚姻の時期についても定説はない。
稲姫が家康の養女となったことも諸説あるほどである。
推測によれば・・・徳川家康の家臣である本多氏と・・・真田家嫡男の縁組は・・・家康にとっては都合のいい話で豊臣政権下の与力大名である真田家を家臣と同格にする意図となる。そこで真田昌幸は色よい返事をしなかったために・・・家康が稲姫を養女とすることで・・・徳川家と真田家の婚姻という形式に修正し、決着したというのが妥当ということになるのだろう。
そうなると・・・それは天正十五年(1587年)以後ということになる。
通説によれば・・・信幸と稲姫の長女・まんは天正十九年(1591年)に生まれており・・・遅くとも天正十八年には婚姻が成立したと思われる。
この後、文禄二年(1593年)に次女のまさが生まれている。
そして文禄四年(1595年)には真田信綱の娘である清音院殿が嫡男の信吉を生んでいる。
つまり・・・嫡男という意味では清音院殿は正室なのである。
ただし・・・信吉の母も稲姫だとする説もある。
稲姫は次男・信政を慶長二年(1597年)に・・・三男・信重を慶長四年(1599年)に生んでいる。
真田家の血統は基本的に信幸(信之)が継いでいくが・・・信吉系統と信政系統にはお家騒動も勃発する。
そこには・・・真田の血と本多の血の争いが背景としてあることが充分に想像できるわけである。
信繫の正室とされる大谷吉継の娘・竹林院との婚姻にも諸説ある。
信幸よりも先に縁談が整った可能性もあるが、天正十八年(1589年)の小田原征伐以後、豊臣姓を賜り、従五位下左衛門佐に叙任された文禄三年(1594年)の間とされる。
ドラマでは・・・史実の曖昧さを利して・・・なんでもありな状態なのである。
ただし、高梨内記の娘とされるきりが慶長四年(1599年)に三女の阿梅を出産しているという説があり、竹林院が嫡男の幸昌を出産したのは慶長五年(1600年)という説もある。きりも竹林院もそれ以前に次女いちや四女あぐりを出産しており・・・まあ・・・信繫は両者を同時に可愛がっていたわけである。
ドラマでは・・・このあたりをどう処理してくるのか・・・楽しみなんだな。
さらに言えば・・・信繫はあの豊臣秀次の娘も側室にしているわけであるしね。
戦国大名のハーレムこそ・・・男のロマンなのである。ああ・・・楽しみだ。
で、『真田丸・第19回』(NHK総合20160515PM8~)脚本・三谷幸喜、演出・小林大児を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は豊臣秀吉の正室にして・・・糟糠の妻・・・寧(ねね)の描き下ろしイラスト大公開でお得でございます。秀吉と茶々・・・そして北政所・・・役者が揃いましたねえ。少女を演じることのできる女優と老女を演じることのできる女優を揃えて・・・大坂城物語も盛り上がること間違いなしでございます。それにしてもきりは神出鬼没ですね。ドサクサにまぎれて北政所の侍女になっているわけですが、すでに参議となっている豊臣秀次とも親しくなっているらしい。この時、秀次はそこそこ二十歳・・・三十路前に切腹するまでに三十人以上の側室を持つ男なので色仕掛けで誑し込んだか・・・やはり・・・くのいちなのですな。まあ・・・大坂城を長澤まさみがうろうろしていたら・・・秀吉のお手付きになってもおかしくないのですよねえ・・・。やはり・・・きりはこのドラマ最大のミステリーなのかもしれません・・・。「彼ったら・・・茶々様とこそこそしていたのよ」って侍女仲間に絶対に言ってますよね。
いよいよ・・・ここに来て・・・大河名物、時空の乱れである。真田昌幸の駿府城訪問が・・・長逗留なのである。形式的には天正十五年(1586年)三月に・・・与力大名として徳川家康と会見した昌幸は上洛し、上田城に戻ったわけである。可能性としては・・・嫡男・信幸は人質として・・・そのまま家康に出仕したかもしれない。その後、稲姫との縁組について家康が昌幸に申し出て・・・縁談がまとまるわけだが・・・それが・・・三月中の出来事としてまとめられたらしい。この頃・・・豊臣秀吉は弟・秀長とともに九州に出陣中である。ドラマでは秀長が病床にあることになっているが・・・兄弟揃って元気に戦闘中なのだった。聚楽第は天正十四年(1586年)二月に着工され・・・天正十五年(1587年)九月に完成したとされる。ちなみに豊臣秀次は前田利家に補佐されて京都留守居役を命じられ大坂城には不在だ。六月に九州平定を終えた秀吉は凱旋するわけだが・・・当然、桜の季節ではないわけである。すると秀吉と茶々が見た桜吹雪は天正十六年(1588年)の春ということになる。しかし・・・秀長の病が悪化するのは天正十七年の暮れなので・・・まあ・・・いいか。とにかく・・・なんだかんだで天正十七年(1589年)五月には茶々は豊臣鶴松を出産するのである。つまり・・・今回・・・のドラマは・・・天正十五年の春に始り、天正十六年の春に終わる。夢のように一年の歳月が流れ過ぎたのである。
駿府城下の本多屋敷内に真田信幸の離れが作られた。
本多忠勝の娘・稲姫は真田家に嫁いだわけだが・・・実質は・・・信幸が婿入りしたようなものである。
信幸は母屋に実父がいる家で・・・正室となった稲姫と初夜を迎えた。
月明かりだけの寝室に二人は対座する。
「末長くよろしくお願い申し上げます」
床入り前に頭を下げる稲姫であった。
「こちらこそ・・・」と信幸も頭を下げた。
「信幸様は・・・真田一の武勇の主と父が申しておりました」
「それは・・・言い過ぎだ・・・真田のものはみな・・・一騎当千にて・・・」
「しかし・・・上田の合戦では徳川の兵どもを手痛い目にあわせたのでしょう」
「すべて・・・父、昌幸の采配によるもの・・・」
「奥ゆかしいのですね・・・真田のものは怪しい修験の術を使うと聞きましたが・・・」
「そういうものもおる・・・私は・・・槍と馬だけじゃ・・・」
「遠当ての術などは・・・」
「弟の中に得意なものがおる」
「妾もいささか・・・嗜みまする」
「ほう・・・」
稲姫は微笑んだ・・・。
「本多流・・・電光石火の術・・・」
稲姫は気合とともに両手を交差した。
その接合部から電撃がほとばしり・・・蝋燭に着火する。
闇の中に稲姫の顔が浮かび上がる。
「妾・・・またの名を・・・稲妻と申します」
「そうか・・・稲は・・・稲妻姫か」
二人は・・・床に入った。
「参る・・・」
「はい」
信幸は稲に挿入した。
途端に・・・信幸の先端は痺れを感じる。
「あ・・・」
「ふふふ・・・妾の女陰は・・・しびれくらげでございます」
信幸は感電した。
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