今はただ切腹して果てることこそ無上の喜び、その首を晒すが汝の誉れなり(堺雅人)
元亀二年(1571年)に父・北条氏康が没し、氏政が北条家を継いでおよそ二十年である。
天正十八年(1590年)七月・・・豊臣秀吉の小田原征伐に敗北し・・・氏政は切腹して果てた。
氏政の母・瑞渓院と継室の鳳翔院は六月十二日に共に死去していて自害したとの説もある。
八王子城主だった弟の氏照は小田原城に篭城。八王子城は六月中に落城し、氏照夫人は自害する。
氏照も氏政と同日に切腹する。
氏政の弟の一人、藤田氏邦は鉢形城に篭城。前田利家に攻められ降伏し助命されて前田家家臣となる。
氏政の弟の一人、北条氏規は韮山城に篭城。徳川家康の説得により降伏する。氏規の子氏盛は河内国狭山藩主となる。
氏政の嫡男・氏直は助命されて高野山に入る。氏政の弟である佐野氏忠、北条氏光や、氏直の弟である太田氏房、千葉直重、北条直定らは氏直に従った。
氏直夫人で徳川家康の娘である督姫は天正十九年(1591年)に夫が病死すると、秀吉の命により三河国吉田城主の池田輝政の継室となった。
北条氏滅亡の端を発した猪俣邦憲は消息不明となる。
氏政の軍師・板部岡江雪斎は秀吉の臣下となり、関ヶ原の合戦では徳川家康の臣下となった。
小早川秀秋の裏切りを導いたのは板部岡江雪斎だったという説もある。
北条氏は滅亡したが・・・血族や家臣たちはそれなりに生き抜いたのである。
で、『真田丸・第24回』(NHK総合20160619PM8~)脚本・三谷幸喜、演出・木村隆文を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は豊臣秀吉の馬廻衆として活躍中の主人公・真田信繁の新作描き下ろしイラスト大公開でお得でございます。颯爽としておりますねえ。秀吉の馬廻り衆には尾張中村出身の服部正栄とか、木村重成の室・青柳の父である真野頼包とか、黄母衣衆では桶狭間の合戦でおなじみの服部一忠とか、小田原征伐で戦死した一柳直末とか、赤母衣の長谷川重成とか・・・いろいろといるわけですが・・・信繫が大抜擢されて・・・小田原城に密使として送られるなどという素晴らしい脚色に血沸き肉踊る今日この頃でございます。一歩間違えれば・・・北条家の人質になっていた可能性だって信繫にはあったわけでございますからねえ。氏政に可愛がられていたかもしれない信繫・・・そうはならなかったところが・・・歴史の醍醐味かもしれません。
天正十八年(1590年)六月、北条氏政は笠原政尭を豊臣秀吉への内通の罪で処刑。政尭の父・松田憲秀を監禁する。七月、北条氏直が秀吉に降伏する。氏政や氏照、大道寺政繁や憲秀らは秀吉に切腹を命じられる。助命された氏直は家臣を伴い高野山に出発する。小田原城開城後も唯一抵抗を続けていた忍城の成田長親は石田三成に降伏する。成田氏長の長女・甲斐姫は秀吉の側室として召された。秀吉は小田原城に入城。江戸から岩槻を経て宇都宮に入る。秀吉は南部信直陸奥国南部を安堵する。羽柴秀次は陸奥国会津に出発。八月、秀吉は上杉景勝と大谷吉継に出羽国での仕置きを命ずる。秀吉配下の堀尾吉晴が陸奥国の九戸政実を討伐。秀吉は白河を経て会津に到着。秀吉は浅野長政に陸奥国検地を命ずる。織田信雄は出家し常真と号す。九月、秀吉は京都に凱旋する。佐竹義重が上洛。秀吉の命により千利休、聚楽第で茶会を催す。秀吉は摂津国有馬へ湯治。十月、秀吉は有馬で茶会を催す。羽柴秀次が羽柴秀長の病気本復を祈願する。十一月、秀吉は参内し関東・奥羽の平定を報告する。豊臣秀吉は天下を統一した。
聚楽第の忍び屋敷で秀吉は三成と軍師・官兵衛と密議を凝らしていた。
周囲は雪景色である。
官兵衛は竹中半兵衛が育て上げた美濃と飛騨と近江の忍び衆を受け継ぎ、軍事と外交のための諜報網を統括している。
三成は秀吉の育成した官僚組織を率いる行政機関のトップである。
北条征伐の大まかな軍略を秀吉が立案し、官兵衛が緻密な作戦に練り上げ、石田三成が実戦に必要な諸事を司る。
織田信長の構築した超時代的な「戦のカタチ」を秀吉は優秀な人材の登用で踏襲している。
「これで・・・ええかのん」と秀吉が東海・関東地方の絵図から顔をあげる。
「おおよそは・・・」と官兵衛が答える。
「水軍は・・・いささか大袈裟と存じまする」と三成は吝嗇な性格をあらわにする。
「佐吉よ・・・これはのん・・・演習と心得よ」
「石田殿・・・確かに・・・下田で北条水軍を撃破すれば・・・酒匂河口への上陸作戦は無用のものと言えますが、四国、九州とは違い、敵前上陸作戦となる今回は・・・唐入り(大陸侵攻)のための稽古とお考えいただきたい」と官兵衛。
「・・・」
「四国や九州とは違い・・・大軍の籠る城を攻めるのは滅多にない機会でござる」
「損して得取れと申すだがや・・・のう・・・佐吉」
「御意にござります」
水陸併せて二十万を越える兵の移動はすでに大事業である。
合戦場への兵力の集中は兵糧の運搬も併せて石田三成の采配に委ねられる。
遠方の武将と近在の武将の足並みをそろえる書状の伝達だけでも日数を要する時代なのである。
三成の指揮する軍使部隊は全国の山野を駆けまわる。
「父上・・・合戦の開始は三月の二十八日と定められております」
「戦は・・・機に応じてするものではないのか」
秀吉からの命令を家康経由で嫡男・信幸から伝えられた真田昌幸は顔を顰める。
「父上は先手を命じられておりますが・・・まもなく・・・信濃には前田勢、上杉勢が南下してくる手筈・・・信濃衆を含めて・・・これらが集結してから・・・一気に押し出るのでございます」
「まるで・・・祭りの踊りのような按排じゃのう・・・」
「北方軍は総勢六万となりますれば・・・」
「大道寺政繁の松井田城は・・・たかだが・・・二千の籠る城・・・真田の五千で充分抜けるぞ・・・」
「父上・・・北方軍はそのまま、関東の城をすべて・・・夏までには落すことになります」
「なんと・・・武蔵や下野までもか」
「安房国までです」
「なるほどのう・・・」
従五位下真田安房守昌幸はため息をついた。
「まもなく・・・米が参ります」
「何・・・」
「六万の兵を養う米がまず届くことになっております」
昌幸は驚愕した。
「そんな話・・・聞いたことがないわ」
「それが・・・関白流ということでございましょう・・・と家康様が申しておりました」
「・・・米蔵を作らねばならんな」
「御意」
真田昌幸が北方軍六万の先手として出陣した三月下旬・・・。
秀吉は沼津で十万の軍を集結させていた。
秀吉の本陣に徳川家康が呼ばれる。
そこには・・・織田信雄と豊臣秀次・・・そして黒田官兵衛が控えている。
「大納言殿・・・よいかな」と秀吉が微笑む。
「すべて整ってござる」と家康が応じる。
「予想通り・・・北条氏政・氏直親子は小田原に篭城」と官兵衛が切り出す。
「前衛として・・・松田康長の山中城と北条氏規の韮山城を結ぶ線に防御を整えておりまする。守備兵は山中城が五千、韮山城が四千というところ・・・線というものは二つの点があって・・・成り立ちまするゆえ・・・まずは・・・軍を二つに分け・・・我武者羅攻めをいたしますぞ」
「・・・」
「これは早いもの勝ちといたします・・・どちらかの城が陥落したところで・・・線は点になりますので・・・残った城は兵糧攻めに切り替えます・・・」
「なんと・・・」
「奪った城を付け城として残し・・・本軍は一気に小田原を囲むのでござる」
「山中攻めは中納言秀次が主将、韮山攻めは織田内大臣信雄を主将といたす・・・大納言殿には秀次を助けてもらいたい」と秀吉。
「仰せのままに・・・」と家康は応じる。
山中城には豊臣秀次と徳川家康、池田輝政、堀秀政、長谷川秀一、丹羽長重、木村重慈など六万が向かう。
韮山城には織田信雄と細川忠興、蒲生氏郷、稲葉貞通、森秀政、中川秀政、蜂須賀家政、筒井定次、生駒親正、福島正則など四万である。
三月二十九日、両城の攻略競争が同時に開始される。
豊臣秀次の旗下には・・・中村一氏、山内一豊、田中吉政、堀尾吉晴、一柳直末などの猛将が顔を揃えていた。
中村一氏の家臣・渡辺勘兵衛の一番槍で始った山中城攻めは昼下がりに開始され、夕刻には終了した。
北条勢四千は一瞬で殲滅されたのである。
用心深く・・・韮山城包囲の采配をふるっていいた信雄は山中城落城の報告を聞き、腰を抜かした。
「うつけたことを申すな」
「うつけは殿でございます」
信雄の叔父で織田家宿老の織田長益(有楽斎如庵)は舌打ちした。
長宗我部元親、加藤嘉明、九鬼嘉隆は下田城の北条水軍を壊滅させ、関白軍は四月三日には小田原城の包囲を開始する。
秀吉は官兵衛に石垣山城の着工を命ずる。
「とにかく・・・磔台は急ぎ用意せよ」
「御意」
北方軍は四月二十日に松井田城の大道寺政繁を降伏させ、厩橋城、箕輪城、玉縄城、江戸城を四月中に攻略する。
小田原城に籠る兵の多くは・・・関東各地から駆りだされた半農半兵のものたちである。
秀吉は・・・占領した領地から・・・小田原城に籠る兵の妻子を小田原に護送させた。
そして・・・泣き叫ぶ女子供を次々と石垣山城の磔台に架けたのだった。
「あんた~」
「お父~」
小田原に木霊する悲痛な叫び。
断末魔の家族の声を聞き・・・小田原城兵の戦意は急速に低下した。
六月下旬、八王子城に進軍した真田昌幸は・・・斥候(うかみ)から帰った佐助の報告を聞く。
「攻め口がせまく・・・鉄砲衆も多いため・・・なかなかに厄介なる城と見ました」
「才蔵を呼べ・・・」
きりことくのいちの霧隠才蔵は信繫から離れ、昌幸の軍に加わっていた。
「真田忍法・・・夜霧の術・・・」
霧隠才蔵の秘術により・・・八王子城は霧に包まれた。
霧の中を真田忍軍が八王子城に向かって進軍する。
「敵襲」に気がついた時には八王子城は業火に包まれている。
七月六日に・・・自らが使者となった北条氏直は秀吉に降伏した。
「なに・・・小田原城が落ちただと・・・」
忍城を攻めあぐねる石田三成は唇を噛みしめた。
「なぜ・・・城が落ちぬ・・・」
「各所で攻めるが・・・最後には甲斐姫が出てきて兵が狂わされるので・・・戦にならん」
官僚として三成の同僚である長束利兵衛正家がぼやく。
そこへ真田信幸の影武者である真田幸村が現れる。
「真田の里から・・・手のものを呼びましたのでご安心を・・・」
三成は総攻撃を開始した。
風魔忍びはゲリラ戦を展開するが・・・十倍の敵に圧倒される。
危機と見て出馬する甲斐姫・・・。
「妾を見よ」
殺到する敵兵を甲斐姫の邪眼が射竦める。
しかし・・・敵兵は一糸乱れず前進を開始する。
「なんと・・・」
「甲斐姫とやら・・・我は真田竜芳・・・我に邪眼は通じぬ・・・」
真田竜芳率いるオシラサマ忍びの一群は・・・全員が盲目だった。
「者どもかかれ」
四方から鎖が放たれ、馬上の甲斐姫を呪縛する。
「・・・」
武者姿の甲斐姫は捕獲され・・・瞳を閉じた。
その目を竜芳は容赦なくくりぬく。
七月十四日・・・忍城は降伏した。
小田原征伐は終わった。
蝉の声が北条の滅亡を告げる。
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