ふつうが一番(東山紀之)新しいママです(松たか子)
藤沢周平を選ぶ人がいるのだから・・・世界とは恐ろしいものだな。
気難しい父親とは文学の好みもなかなかに一致しないのだが・・・唯一、喧嘩にならないのが藤沢周平である。
藤沢周平の前に右も左もないからである。
もう・・・新作が読めないのかと思うと・・・ひどく哀しい気分になるのだな。
実の娘のエッセイを原作とした昭和のひとときの物語である。
作り手も昭和の人風だが・・・たまにはのんびりしていいかもねえ。
で、『ふつうが一番 -作家・藤沢周平父の一言-』(TBSテレビ20160704PM9~)原作・遠藤展子、脚本・黒土三男、演出・清弘誠を見た。物語の時代は昭和四十三年(1968年)から昭和四十八年(1973年)までのおよそ五年間である。つまり・・・半世紀近く前の話だ。物語は原作者の藤沢周平の長女の言葉で綴られていく。ナレーション担当は小林綾子(おしん)である。
藤沢周平はペンネームであり、本名は小菅留治(東山紀之)・・・長女の展子(熊坂澪→稲垣未泉→小林星蘭)は昭和三十八年(1963年)に生まれる。留治の最初の妻・悦子は出産から僅か八ヶ月で進行性の癌のために逝去する。東京・新橋の「日本食品加工新聞」(株式会社日本食品経済社)の記者として働く留治は幼い妻と老いた母のたきゑ(草笛光子)の面倒を見ながら・・・最愛の妻を亡くし鬱屈した心を余暇の小説執筆で癒していた。
やがて・・・藤沢周平の小説に魅せられた高澤和子(松たか子)と交際を始めた留治は純喫茶ロダンに和子を呼びだして・・・ウエイトレスのいずみ(熊谷真実)に包丁を貸してほしいと頼む。
「包丁を・・・どうなさるの」
「ハムを切るんです」
「ここで・・・」
「はい」
食品加工業の業界新聞の記者である留治は取材先の日本ハムの社長に気に入られ・・・高級なハムを贈られたのだった。
「はんぶんこして・・・」
「私にくださると・・・」
物騒なのか呑気なのか・・・よくわからない時代なのである。
留治は和子に求婚した。
和子は留治の連れ子である展子のことが気がかりだったが・・・三人で旅行に出ると展子は和子になついた。
展子も母親不在の五年間を寂しく過ごしていたのだった。
和子の父親の高澤庄太郎(前田吟)は子持ちの寡夫に嫁ぐことに反対するが・・・「愛」の前に屈服するのだった。
こうして・・・昭和四十四年(1969年)・・・東京・練馬で留治と和子は夫婦生活を始める。
堅実な留治の母親は嫁に一日五百円で家計を賄うことを強いるのだった。
すでにアニメ「ひみつのアッコちゃん」の放映が始っていたが・・・前年に放送終了したアニメ「魔法使いサリー」が展子のお気に入りだった。
一緒に主題歌を歌ってくれる新しいママに展子は喜悦を感じる。
口さがない魚屋の女将は「継母なんてかわいそうだ」と心ない言葉を展子に吐く。
「ままははってなあに?」と問う六歳の娘に後妻は答える。
「ママと母で二倍お母さんってことよ」
「それって凄いの」
「凄いのよ・・・二倍だもの」
こうして・・・貧しいけれど幸せな暮らしが始った。
東北出身の姑と夫と娘はカレーライスに醤油をかけ、東京下町育ちの和子はソースをかけるのだった。
ああ・・・昭和だなあ・・・。
家事から解放された留治は執筆活動が軌道に乗る。
昭和四十六年(1971年)には「溟い海」が第38回「オール讀物」新人賞を受賞。「溟い海」は昭和四十六年上半期の第65回直木賞候補作としてノミネートされるのだった。
直木賞受賞作家とそうでないものには天と地ほどの差がある時代である。
緊張感が高まる小菅家・・・。
しかし・・・該当作品なしだった。
お通夜のようになる小菅家・・・。
姑は花札博打に興じ、反抗期の娘は家出、夫婦は喧嘩の修羅場である。
だが・・・一番の読者である和子は藤沢周平を励ますのだった。
「あなたの書くものは・・・面白いから大丈夫です」
けれど・・・試練は続く。
昭和四十六年下半期の第66回直木賞には「囮」が候補作としてノミネート。
またもや・・・該当作品なしだった。
昭和四十七年下半期第68回直木賞には「黒い繩」が候補作としてノミネート。
三度目の正直を願う小菅家・・・。
しかし・・・無情にも該当作品なしなのである。
ちなみに第67回直木賞は綱淵謙錠「斬」と井上ひさし「手鎖心中」がダブル受賞しているのだった。
もはや・・・「やってらんねえ」と泥酔しても仕方ない状態である。
留治は幼馴染の木内松五郎(佐藤B作)と飲んだくれるのだった。
そして・・・緊張に耐えかねた和子は風邪をこじらせ・・・高熱を発する。
留治は和子を背負い・・・真夜中に竹下医師(篠田三郎)を叩き起こす。
和子は肺炎寸前だったが・・・処置が早かったので一命を取り留めるのだった。
一度愛妻を亡くし・・・自殺まで考えた留治は・・・徹夜で妻を看病した。
枕元で眠りこんだ夫に目覚めた和子は感謝の涙を流す。
留治の勤務先の田中角栄風の社長・柿沼健三(角野卓造)に呼び出される留治。
「君には編集部から・・・去ってもらう」
「え」
「今後は論説委員として社説を書いてくれ・・・藤沢周平くん・・・そして、今度こそ・・・直木賞を」
「・・・ありがとうございます」
ちなみに・・・第68回直木賞を最後に大佛次郎が選考委員を去る。
そして・・・昭和四十八年上半期・・・第69回直木賞・・・。
「暗殺の年輪」で藤沢周平はついに直木賞作家となった。
授賞式の日・・・純喫茶ロダンで待ち合わせをする留治と和子。
お祝に・・・ハムサンド一人前を注文する二人。
「はんぶんこにしましょうね」
「でも・・・足りないんじゃないかな」
「足りなかったら・・・帰ってお茶漬けを食べましょう」
「ふつうが一番だな」
「ですね」
ウエイトレスは尋ねる。
「今日は・・・包丁は・・・よろしいのですか」
街には「危険なふたり/沢田研二」が流れていた。
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