落日の残照にわが漆黒の欲望輝くことなかれ(長澤まさみ)
「虎の威を借る狐」という言葉は石田三成によく似合う。
太閤秀吉の権威により奉行として腕をふるったニュアンスである。
しかし・・・語源である「戦国策」の狐はもう少し必死である。
虎の獲物となった狐は・・・自分が百獣の王だと虎に告げる。
「私の後についてくれば・・・私の威光がわかるでしょう」
虎が狐の後に従うと・・・獣たちは「虎の威を借りた狐」に逃げ去るのである。
つまり・・・狐は虎の威を借りて虎自身を欺こうとしているのである。
独裁者であった秀吉の死後・・・石田三成は・・・豊臣政権という幻の権威をふりかざしたのではなく・・・徳川家康という新たな権力者の幻を作りだしたと言える。
その威を借りて・・・豊臣家を守ろうとしたのである。
しかし・・・三成にとって残念なことに・・・家康は虎ではなく・・・狸だったのだ。
で、『真田丸・第32回』(NHK総合20160814PM8~) 脚本・三谷幸喜、演出・小林大児を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は虎之助こと肥後熊本藩初代藩主となる加藤清正の描き下ろしイラスト大公開でお得でございます。ついに秀吉の寵愛を争う宿命のライバルが激突の展開で・・・胸が熱くなりますな。清正は仲良くしたかったのに・・・三成が冷たくしすぎたのが・・・いけなかったみたいな展開に一同爆笑の今日この頃でございます。二人が組めば無敵だったのでしょうが・・・世の中というのは一筋縄ではいかないものなのでございますな。計算高い秀才と・・・野性味あふれる天才・・・当然歩みよるべきは秀才の方ですが・・・三成の側近のプライドがそれを許さないんですよね。その点・・・一家の主として生まれながら・・・苦労に苦労を重ね・・・関東の太守にのし上がった家康の懐は・・・すべてを飲みこむ深さなのでございますよねえ。基本的に戦国武将の基本は地縁・血縁・・・。信長や秀吉は・・・実力主義という改革を成し遂げたのですが・・・そうであるほど・・・権力の継承は難しい。「血縁は関係ないんでしょう?」ということになるわけです。独裁者の死後、家康はすぐに血縁の拡張を開始する。それに対して三成はあくまで「豊臣政権」の維持に拘るわけですが・・・人の心の「欲」や「情」について・・・知り尽くした「家康」の敵ではないのですよねえ。一歩、また一歩と破滅への道を突き進む三成と・・・それに巻き込まれていく真田信繁・・・その道筋が丹念に描かれていく今年の大河はまさに戦国絵巻の醍醐味そのものでございまする。
慶長三年(1598年)八月十八日、太政大臣豊臣秀吉死す。十九日、石田三成は徳川家康の暗殺に失敗。九月、家康、前田利家、宇喜多秀家、毛利輝元は明・朝鮮との和議交渉の担当者を加藤清正とすることを島津義弘に通達。黒田如水は「秀吉薨去」を吉川広家に通達。蔚山守備の加藤清正は明・朝鮮連合軍の攻撃を撃退。順天守備の小西行長も連合軍を撃退する。十月、泗川守備の島津義弘が連合軍を撃破。三万八千の首級をあげる。十一月、上杉景勝ら五大老(年寄衆)と石田三成ら五奉行(奉行衆)、敵軍の退却を見計らって釜山浦へ退却、さらに帰朝すべきことを在朝鮮軍に通達。十二月、福島正則の養子・正之が家康の養女・満天姫が婚約。伊達政宗の長女・五郎八姫と家康の六男・松平忠輝が婚約。加藤清正と家康の叔父・水野忠重の娘・かなが婚約。蜂須賀至鎮が家康養女の万姫と婚約。黒田長政が家康の姪・栄姫と婚約。政略結婚につぐ政略結婚である。慶長四年(1599年)一月、前田利家が大坂城に、家康が伏見城に諸大名を結集。三成ら五奉行は家康を問責。しかし、家康は問罪使として派遣された堀尾吉晴を恫喝し、緊張が高まる。
信繫は伏見城真田屋敷に佐助を走らせた。
「太閤様・・・ご臨終でござる」
「そうか・・・」
昌幸は息をとめた。
観相により・・・形勢を読むためである。
真田忍軍により・・・様々な情報が昌幸の元へと集められる。
すでに・・・秀吉の死は・・・昌幸にとって想定内である。
しかし・・・想定と・・・実際の「死」は違う・・・。
危機に際し・・・人は思わぬ動きをするものである。
昌幸は真田忍軍の長である幸村を信州・上田城から呼びよせていた。
「どう見る・・・」
「すべては唐入りの武将衆が帰陣してからのこととなりましょう」
「家康と張り合えるのは・・・加賀の前田ということになるが・・・」
「前田様の御加減も悪しゅうござる」
「おそらく・・・一年と持つまいな・・・」
「石田様が・・・仕損じたとなれば・・・次は前田様が家康に仕掛けるかもしれませぬ」
「前田も己の死後のことを考えれば・・・うかつには動けぬだろう」
「・・・」
「やるなら・・・今だ・・・俺は・・・信幸を沼田に戻すつもりだ・・・」
「御意」
「おそらく・・・家康も・・・秀忠を江戸に戻すじゃろうて」
「・・・」
「伏見の徳川屋敷には・・・唐沢玄蕃を忍ばせてある・・・」
「唐沢殿は・・・生きておいででしたか」
「上田城の合戦の折りに・・・家康の包丁人の一人と入れ替わったのじゃ・・・」
「あれから十五年になりますか・・・」
「殺るとなれば・・・秀忠も殺らねばならぬ・・・」
「家康は・・・秀忠を守るために・・・鉄壁の守備を引きましょうな」
「まあ・・・守るより・・・攻めるが易しじゃ・・・」
「出浦衆、河原衆、横谷衆、望月衆に四方から・・・攻めさせまする」
「秀忠はお前にまかせる」
「承知」
家康は秀忠の出立を見送った。
服部半蔵は・・・秀忠の護衛のために・・・徳川屋敷を出る。
家康の警護が緩む一瞬の隙。
厨房を出た唐沢玄蕃は廊下を進む。
十五年の潜伏の間に・・・家康の立ち振る舞いはすべて玄蕃の心中にあった。
獲物は包丁一本であったが・・・玄蕃には自信がある。
屋敷の廊下を家康が進み、出会いがしらに玄蕃は必殺の一撃を繰り出す。
しかし・・・包丁の刃は家康自身の手によって・・・挟まれた。
「お」
「見たか・・・無刀取りの秘術・・・」
家康もまた超一流の忍びである。
柳生石舟斎の秘術をすでに会得していたのだった。
玄蕃は飛んだ・・・家康の背後から柳生又右衛門が躍り出る。
「曲者じゃ」
「・・・」
玄蕃は庭の松の木に跳び、微塵隠れを行う。
徳川屋敷から火柱があがった。
見届け人の二人は顔を見合わせる。
似たような光景を見たばかりだった。
「玄蕃殿・・・」と佐助。
「ちっ」と才蔵は舌打ちをする。
幸村は・・・火柱から立ち上る狼煙の色を見て・・・家康が生きながらえたことを悟る。
「散・・・」
四方から秀忠一行に忍びよっていた真田忍軍は撤退を開始する。
親が生き残ったのでは子を殺す意味がない。
子は代わりがいくらでもいるのだ。
秀忠は命拾いをしたことも知らずに東海道を江戸に向うのだった。
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