ついに・・・真田信繁の三女・阿梅の母親が春(竹林院)になってしまった。
これで・・・高梨内記の娘・きりはますます霧隠才蔵ポジションに近付いている。
まあ・・・ネーミングの時点でそうだったんだよな。
今回なんか露骨に佐助と親密なシーンが挿入されていたしな。
早世した次女の於市なんていないことになってるしな。
負け組の女たちは哀れである。
しかし、やはり自称・公共放送によるお妾制度なんて認めないお茶の間対策バイアスがかかっているのだろう。
このドラマにおける悪役である徳川家康の家臣となった真田信之は正室と側室がいる上に京都の愛人の噂がある小野お通まで登場しているというのにだっ。
側室に子供を産ませまくっている真田昌幸や・・・お手付きし放題の主人公に男のロマンは許されないのである。
そもそも・・・信繁の嫡男・大助(真田幸昌)の生年さえ所説あるわけである。
慶長五年(1600年)、慶長六年、七年、八年と何歳なんだ大助なのだ。
阿梅にも慶長四年(1599年)生れと九年生れという説があり、前者なら姉だし、後者なら妹だ。
どっちなんだよっ。・・・妹みたいだったぞ。
大坂の陣では薙刀ふるう武勇伝もある三女は・・・その時、十歳じゃない気もするよねえ。
来週は豊臣秀次の娘が帰還するみたいなので・・・楽しみだ。
まあ・・・基本的に変な女ばかりだけどな。
一方、服部半蔵は・・・生没年未詳の保長、慶長元年(1596年)死亡の正成、慶長十年(1605年)失脚の正就に続いて四代目正重が就役中である。
実際はもっといたわけだが・・・定説に従えばそうなるわけである。
忍びの世界は正史とは無縁なので・・・。
ちなみに浅野家家臣の竹本義太夫は義太夫節浄瑠璃の創始者とは別人である。
あっちの義太夫はまだ生まれていない。
で、『
真田丸・第38回』(NHK総合20160925PM8~) 脚本・三谷幸喜、演出・木村隆文を見た。例によってシナリオに沿ったレビューは
ikasama4様を推奨します。今回はついに往生した戦国最凶武将・
真田昌幸の第五弾描き下しイラスト大公開でお得でございます。愛されておりますねえ。大河ドラマ名物の時の急流がついに発生しましたな。十年をひとっとび・・・つまり・・・世間から隔離された真田昌幸・信繁父子にとっては・・・むなしく過ぎ去った十年だったのでございましょう。まして戦のない時代など求めていない生粋の戦国武将であった昌幸にとってどれだけ・・・空虚な十年だったか・・・。想像を絶するのですな。そんな昌幸の遺言が・・・豊臣につけ・・・豊臣に味方しろ・・・一種の呪いでございます。しかし・・・この大河ドラマでは・・・秀吉の忘れ形見を高台院よりも愛し、石田三成を尊敬し、大谷吉継の娘を正室にしている身の上・・・復讐するは我にありな信繁に見事に仕上がってしまっている。そして十月です。戦を始めるなら十月・・・終わるのは師走・・・胸が高鳴ります。大坂城には夢と希望と恐怖の茶々様が待っているから・・・。

慶長七年(1602年)二月、関ケ原の合戦の傷が癒えず井伊 直政死去。十月、小早川秀秋死去。流し込んだ銅が漏れ出たため火災が起き、造営中の方広寺の大仏が焼失する。慶長八年(1603年)、豊臣秀頼は正二位内大臣となる。
二月、徳川家康は征夷大将軍に就任、江戸に幕府を開く。徳川秀忠の娘・千姫が秀頼と婚姻。慶長十年(1605年)、秀頼は右大臣となる。秀忠は江戸幕府の征夷大将軍を継承。最後の足利将軍の嫡男・足利義尋死去。慶長十一年(1606年)五月、榊原康政死去。慶長十二年(1607年)閏四月、結城秀康死去。十月、秀忠の五女・徳川和子生誕。慶長十三年(1608年)、方広寺の大仏殿の再建開始。慶長十四年(1609年)六月、板部岡江雪斎死去。慶長十五年(1610年)八月、
細川幽斎死去。十月、本多忠勝死去。慶長十六年(1611年)
三月、後陽成天皇は政仁親王(後水尾天皇)に御譲位。秀頼は京都二条城で家康と対面する。六月四日、真田昌幸死去。二十四日、加藤清正死去。十月、大久保忠隣の嫡男・忠常が死去する。
江戸の東北には王川にかかる千手観音大橋があり、西南には玉川にかかる弥勒菩薩大橋がある。
家康の陣僧である天海が念をこめた法力橋である。
関ヶ原の合戦のために・・・下野から速やかに兵を引き、西上を可能にするための構築されたものだ。
二つの橋は慶長五年の江戸の大火にも燃え落ちることはなかった。
大火の原因は石田三成挙兵に呼応した北条勢の生き残りである風魔党と・・・服部半蔵軍団の激突にある。
この時、信幸配下の真田勢も半蔵軍団の援軍として参戦している。
風魔小太郎の最後の火術により・・・江戸の城下町は全焼の憂き目にあったのである。
しかし・・・慶長十六年(1611年)の初夏・・・すでに復興された江戸の街は征夷大将軍・徳川秀忠の居する江戸城を中心に繁栄の兆しを示している。
真田幸村配下の忍び・・・亀田三郎は・・・東海道を走り抜き・・・玉川の六郷から江戸城下に入っていた。
高遠藩の江戸屋敷につなぐために・・・真田忍軍の巣窟である材木問屋・信州屋に忍びいる。
「大殿様の使いでございます」
真田伊豆守信之をはじめとした真田家所縁の武家では・・・大殿と言えば今も真田昌幸を差す。
高遠藩の藩主夫人は真田昌幸の娘・菊だった。
菊の夫である保科正光は・・・真田昌幸の妾腹の息子・真田左源太を養子に迎えている。
甲州忍びの上忍である武田信玄の構築した忍びの組織はまだ命脈を保っている。
保科家もまた・・・その翼の下にあるのだった。
天知通の術者である昌幸は・・・領土を失い・・・九度山に蟄居の身の上とは別に・・・武田忍軍の統率者として顕在なのである。
「義父殿から・・・何か・・・お指図か」
保科正光は奥座敷で妻に問う。
「江戸城の北の丸に・・・お静と言う名の妊婦がおりまする」
「ほう・・・」
「お預かりになっているのはお屋形様(信玄公)御息女の見性院様・・・」
「何・・・」
「腹の子の種は・・・上様だそうです」
「何・・・秀忠様の・・・お子か・・・」
「お静は・・・板橋の町人の娘で・・・昨年の鷹狩りの際にお手付きになったようです」
「なるほど・・・」
「御台所様は悋気の激しいお方・・・難を惧れて比丘尼庵に・・・」
「ふうむ・・・」
「まもなく男子が生れまする・・・その後は八王子の武田屋敷に・・・」
「そこまで・・・お見通しか・・・」
「六年後に・・・保科家に養子に参られます」
「なんと・・・」
「保科家の運を拓くお子ゆえ・・・大事にせいとの父よりの伝言です」
「六年後とは・・・気が早いのう・・・そなたの父上は・・・」
「父は・・・御自分は年は越せないだろうと・・・見ております・・・これは遺言でございまする」
「・・・」
それは慶長十六年五月朔日のことだった。
一月後・・・九度山の真田昌幸は死去した。
コメント
きりちゃんはもうこのドラマでは側室にはしてもらえないんでしょうか~(^^ゞ
最近の女性視聴者はそこまで側室に抵抗あるんでしょうか?
昌幸さんにも史実では側室たくさんいたんですね~(笑)たしかにお兄さんが一番男のロマンを謳歌してますな♪
そして秀次の娘は主人公の側室になれるのか!?ある意味来週が楽しみですね。
昌幸さんは無念の最期でしたな。最期に見たのは勝頼の幻覚ではなくてやはり信玄だったのかしら?
投稿: 出雲 | 2016年9月27日 (火) 00時33分
最初の方で・・・信繁には四人の側室がいた・・・と
ナレーションされているので
最後の最後で
「本当はお前のことが好きだったんだよ」
「そんなのお見通しよ」
という展開になるのかもしれませんな。
なにしろ・・・キャスティング上のヒロインでございますから~!
そもそも・・・天地人の主人公も
軍師菅兵衛も・・・側室をもたなかったことが
採用の条件ですからな。
自称・公共放送の男のロマンを許さない姿勢は
顕著なのでございます。
まあ、正室・側室がそれぞれ子供を産んで
産地・九度山の嵐が歴史的な定説ですからねえ。
励んでもらいたいものでございます。
昌幸も信繁も近所の百姓娘を孕ませておりますし。
楽園だったのか・・・。
人質として武田信玄の元で養育された昌幸だけに
「お屋形様」と心から呼べるのは
勝頼ではなく信玄だったと妄想いたします。
投稿: キッド | 2016年9月27日 (火) 02時48分