九度山の森には時計なんてないのさ(長澤まさみ)
これで・・・高梨内記の娘・きりはますます霧隠才蔵ポジションに近付いている。
まあ・・・ネーミングの時点でそうだったんだよな。
今回なんか露骨に佐助と親密なシーンが挿入されていたしな。
早世した次女の於市なんていないことになってるしな。
負け組の女たちは哀れである。
しかし、やはり自称・公共放送によるお妾制度なんて認めないお茶の間対策バイアスがかかっているのだろう。
このドラマにおける悪役である徳川家康の家臣となった真田信之は正室と側室がいる上に京都の愛人の噂がある小野お通まで登場しているというのにだっ。
側室に子供を産ませまくっている真田昌幸や・・・お手付きし放題の主人公に男のロマンは許されないのである。
そもそも・・・信繁の嫡男・大助(真田幸昌)の生年さえ所説あるわけである。
大坂の陣では薙刀ふるう武勇伝もある三女は・・・その時、十歳じゃない気もするよねえ。
来週は豊臣秀次の娘が帰還するみたいなので・・・楽しみだ。
まあ・・・基本的に変な女ばかりだけどな。
一方、服部半蔵は・・・生没年未詳の保長、慶長元年(1596年)死亡の正成、慶長十年(1605年)失脚の正就に続いて四代目正重が就役中である。
忍びの世界は正史とは無縁なので・・・。
ちなみに浅野家家臣の竹本義太夫は義太夫節浄瑠璃の創始者とは別人である。
あっちの義太夫はまだ生まれていない。
慶長七年(1602年)二月、関ケ原の合戦の傷が癒えず井伊 直政死去。十月、小早川秀秋死去。流し込んだ銅が漏れ出たため火災が起き、造営中の方広寺の大仏が焼失する。慶長八年(1603年)、豊臣秀頼は正二位内大臣となる。
二月、徳川家康は征夷大将軍に就任、江戸に幕府を開く。徳川秀忠の娘・千姫が秀頼と婚姻。慶長十年(1605年)、秀頼は右大臣となる。秀忠は江戸幕府の征夷大将軍を継承。最後の足利将軍の嫡男・足利義尋死去。慶長十一年(1606年)五月、榊原康政死去。慶長十二年(1607年)閏四月、結城秀康死去。十月、秀忠の五女・徳川和子生誕。慶長十三年(1608年)、方広寺の大仏殿の再建開始。慶長十四年(1609年)六月、板部岡江雪斎死去。慶長十五年(1610年)八月、
細川幽斎死去。十月、本多忠勝死去。慶長十六年(1611年)
三月、後陽成天皇は政仁親王(後水尾天皇)に御譲位。秀頼は京都二条城で家康と対面する。六月四日、真田昌幸死去。二十四日、加藤清正死去。十月、大久保忠隣の嫡男・忠常が死去する。関ヶ原の合戦のために・・・下野から速やかに兵を引き、西上を可能にするための構築されたものだ。
風魔小太郎の最後の火術により・・・江戸の城下町は全焼の憂き目にあったのである。
しかし・・・慶長十六年(1611年)の初夏・・・すでに復興された江戸の街は征夷大将軍・徳川秀忠の居する江戸城を中心に繁栄の兆しを示している。
「大殿様の使いでございます」
甲州忍びの上忍である武田信玄の構築した忍びの組織はまだ命脈を保っている。
「お預かりになっているのはお屋形様(信玄公)御息女の見性院様・・・」
「腹の子の種は・・・上様だそうです」
「何・・・秀忠様の・・・お子か・・・」
「お静は・・・板橋の町人の娘で・・・昨年の鷹狩りの際にお手付きになったようです」
「なるほど・・・」
「御台所様は悋気の激しいお方・・・難を惧れて比丘尼庵に・・・」
「ふうむ・・・」
「まもなく男子が生れまする・・・その後は八王子の武田屋敷に・・・」
「六年後に・・・保科家に養子に参られます」
「なんと・・・」
「保科家の運を拓くお子ゆえ・・・大事にせいとの父よりの伝言です」
「六年後とは・・・気が早いのう・・・そなたの父上は・・・」
「父は・・・御自分は年は越せないだろうと・・・見ております・・・これは遺言でございまする」
「・・・」
一月後・・・九度山の真田昌幸は死去した。
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コメント
きりちゃんはもうこのドラマでは側室にはしてもらえないんでしょうか~(^^ゞ
最近の女性視聴者はそこまで側室に抵抗あるんでしょうか?
昌幸さんにも史実では側室たくさんいたんですね~(笑)たしかにお兄さんが一番男のロマンを謳歌してますな♪
そして秀次の娘は主人公の側室になれるのか!?ある意味来週が楽しみですね。
昌幸さんは無念の最期でしたな。最期に見たのは勝頼の幻覚ではなくてやはり信玄だったのかしら?
投稿: 出雲 | 2016年9月27日 (火) 00時33分
最初の方で・・・信繁には四人の側室がいた・・・と
ナレーションされているので
最後の最後で
「本当はお前のことが好きだったんだよ」
「そんなのお見通しよ」
という展開になるのかもしれませんな。
なにしろ・・・キャスティング上のヒロインでございますから~!
そもそも・・・天地人の主人公も
軍師菅兵衛も・・・側室をもたなかったことが
採用の条件ですからな。
自称・公共放送の男のロマンを許さない姿勢は
顕著なのでございます。
まあ、正室・側室がそれぞれ子供を産んで
産地・九度山の嵐が歴史的な定説ですからねえ。
励んでもらいたいものでございます。
昌幸も信繁も近所の百姓娘を孕ませておりますし。
楽園だったのか・・・。
人質として武田信玄の元で養育された昌幸だけに
「お屋形様」と心から呼べるのは
勝頼ではなく信玄だったと妄想いたします。
投稿: キッド | 2016年9月27日 (火) 02時48分