恋と忠義を秤にかける清らかな一人の女(武井咲)
まもなく衆合地獄、叫喚地獄に堕ちる老婆が妄言を吐いたとしてもどうということはない。
邪淫の罪を犯したものにはそれなりの責め苦が待っている。
愛するものを誰かに奪われた時・・・どのようにふるまうのが正しいのかは人それぞれの心の問題である。
そこには愚かさや賢さの入る余地はない。
死刑制度もまた・・・道具に過ぎない。
人間は過ちを犯す。
過ちだと知れば謝罪をする。
しかし・・・ごめんですんだら警察はいらないのである。
殺してしまったものをどうするのか・・・生きているものたちは考えあぐねる。
罪を犯さぬものなどいない・・・と考えれば人が人を裁くことに躊躇もするだろう。
しかし・・・それでも人は生きて行く。
よりよく生きるために知恵を絞る。
死刑制度は善であり同時に悪である。
史実としての赤穂事件が「忠臣蔵」の物語として語り継がれるのは・・・罪と罰のあらゆる要素が混在しているからである。
「ばかども」と言い放った後で「ごめん・・・言いすぎた」で済めば世の中は平和だ。
「婆さん、口が達者じゃねえか」と苦笑するしかないのである。
で、『土曜時代劇・忠臣蔵の恋〜四十八人目の忠臣〜・第3回』(NHK総合201610081810~)原作・諸田玲子、脚本・吉田紀子、演出・伊勢田雅也を見た。「罪の意識」というのも不思議な精神の作用である。良心の呵責に苦しむ・・・とか・・・心が咎める・・・などという経験をしたことがない人もいるだろうが・・・普通はある。それが・・・基本的には後天的な抑圧による結果だとしても・・・共通認識は可能だろう。そういうものがなければ心に陰影は生じない。たとえば・・・殺人について何の抵抗も感じないサイコパスだったとしても・・・それがタブーに触れているという認識から生ずる何らかの葛藤を持つ可能性はある。人間の精神はその程度には複雑なものである。
播磨国赤穂藩の藩主夫人・阿久里(田中麗奈)は延宝二年(1674年)の生れなので元禄十三年(1700年)には数えで二十七歳になっている。
生れた直後に浅野内匠頭長矩(今井翼)の正室と定められ、天和三年(1683年)に十歳で婚儀に至った。結婚して十七年の歳月が過ぎて・・・子供に恵まれなかったのである。
そのために内匠頭の弟・浅野大学長広(中村倫也)を養嗣子として迎えている。
内匠頭と大学は兄弟でありながら・・・性格に相違があった。
質素倹約好きの内匠頭に対して大学には放蕩三昧の気があったのである。
内匠頭は鬱屈し・・・精神的にも破綻しかかっていた。
そのような不安を抱えている藩主夫人と知りつつ・・・侍女として奉公しているきよ(武井咲)は願わずにはいられなかったのである。
「仙桂尼様から縁談の話がございました」
(しかし・・・私には心に決めた人がいる)・・・とはきよには言えなかった。
「けれど・・・私はお勤めを続けたいのでございます」
きよは・・・阿久里に見つめられ・・・心の奥底を覗かれたような心持になった。
それは・・・きよの希望だったのかもしれない。
「考えておきましょう」
阿久里は微笑んだ。
堀部安兵衛の妻・ほり(陽月華)がまたしても変事をきよに伝える。
きよの兄・・・勝田善左衛門(大東駿介)が姿を現したが・・・礒貝十郎左衛門(福士誠治)に問いつめられ・・・また姿を消したというのである。
その時・・・善左衛門の口から・・・きよと村松三太夫(中尾明慶)の縁談の話が出たというのだった。
(縁談のことを知られてしまった・・・)
きよの心は乱れるのだった。
かって・・・世は乱れ・・・親子兄弟が殺し合う時代があった。
それから百年が過ぎ・・・戦乱を治めた家康は平和の世を築いた。
そこは世襲を軸とした管理社会である。
支配者として君臨する武家に自由は許されない。
自由意思は争いの源だからである。
阿久里は物心のつく前に配偶者が定められていた。
惚れた女と結ばれるために・・・きよの父親・勝田玄哲(平田満)は武士の身分を捨てなければならなかったのである。
きよが・・・縁談の話を先延ばしにすることがすでに恐ろしいことだったのだ。
それでも・・・きよは・・・ただ・・・礒貝十郎左衛門と結ばれることを願わずにはいられなかった。
やがて・・・阿久里は仙桂尼(三田佳子)に文を届けさせた。
阿久里はきよの願いを聞き届けたのである。
「縁談の先延ばし・・・確かに承知しました」
文を届けたきよに・・・仙桂尼は言葉を続けた。
「忠義というものは・・・殿方のためにだけある言葉ではありませんよ」
きよの心に重くのしかかる「忠義」の二文字である。
主に対して真心で仕えること・・・そこに求められるのは誠心誠意であり・・・偽りがあってはならないのである。
すでにきよの言動には・・・淫らな心が混交しているのだ。
儒教的徳目では主君に対する「忠」と親に対する「孝」が時に対立する。
武士にあっては「孝行」よりも「忠義」が優先されることは言うまでもない。
主君のために切腹することの美しさが讃えられるのだ。
待ちに待った礒貝十郎左衛門との逢瀬の日・・・。
きよは苦しい心情を打ち明ける。
「縁談の話があります」
「事実であったか」
「けれど・・・阿久里様に縁談の先延ばしをお願いしました」
喜びに顔が綻ぶ十郎左衛門。
「私は・・・恩ある仙桂尼様や・・・阿久里様を裏切った気持ちがいたします」
「そなたの心は・・・あいわかった・・・しかし・・・そなたと夫婦になることは私にとってどうしても譲れぬこと・・・」
「・・・」
「もうしばらく・・・心穏やかに・・・待ってもらえぬか」
「はい」
きよは自分の運命を十郎左衛門に委ねる他に道はないのである。
明けて元禄十四年(1701年)・・・内匠頭は二度目となる勅使饗応役を幕府より拝命するのだった。
毎年正月、幕府は京都の天皇に対して年賀を奏上する。
これに対して天皇は、答礼として二月下旬から三月半ばにかけて勅使を江戸へ派遣する。
勅使饗応役とは文字通り・・・勅使を接待し馳走してもてなす役目である。
幕府の役人は内匠頭に対し「質素倹約を旨とせよ」と申し添えた。
内匠頭が天和三年(1683年)に最初の饗応役を勤めた時の予算は四百両だった。
そして・・・前年の饗応役であった豊後国臼杵藩は千二百両を費やした。
今回・・・内匠頭は七百両という予算を計上したのである。
「七百両・・・」
国元で見積もりの報告を受けた赤穂藩家老の大石内蔵助(石丸幹二)は危惧を感じる。
「それでは・・・賄えぬ」
内蔵助は早飛脚で予算の変更を申し入れたが・・・時すでに遅かったのである。
第百十三代天皇である東山天皇は前権大納言柳原資廉と前権中納言高野保春を江戸に派遣していた。
勅使饗応指南役である高家衆筆頭の吉良上野介義央(伊武雅刀)は遅れて京を出る。
内蔵助が案じるのは高家に対して指南料として贈る進物の予算が不足することである。
生真面目な主君の性格が・・・内蔵助の胸を騒がせる・・・。
江戸屋敷には・・・切腹覚悟で・・・主君を諌める忠義のものはいなかったのである。
藩の財政も厳しく・・・藩主が緊縮財政で動くことはむしろ望ましかったのだ。
三月・・・勅使の宿泊する伝奏屋敷に・・・饗応準備のために内匠頭自身が泊まり込む日が迫っていた。
「役目が無事に済んだら・・・願いの儀を聞き入れよう」
内匠頭は・・・遠慮を重ねる十郎左衛門に告げた。
「ありがたき仕合せにございまする」
つまり・・・この戦いが済んだら結婚しなよ・・・ということである。
これ以上ない・・・典型的なフラグが立ったのだった。
伝奏屋敷に向う内匠頭のために茶を点てる阿久里・・・。
「そなたの点てる茶は格別じゃ」
「お体にお気をつけくださいませ」
完全なる永遠の別離が香り立つのだった。
きよは十郎左衛門からの文を受け取る。
「お役目が無事済めば祝言をあげる」
ああああああああ・・・と叫びたいお茶の間の忠臣蔵愛好家一同だった。
上野介が京から戻った。
質素な進物を携えて挨拶に罷り出る内匠頭・・・。
進物を一瞥し上野介は哄笑する。
「ハハハハハハハ・・・ヤマトの諸君!」
高笑いが江戸の春の空に消えて行くのだった。
「やはり・・・最終日の宴は正装するのでございますよね」
「内輪のパーティーだからラフなスタイルでいいのよ」
よくある遺恨の発生である。
運命の三月十四日が迫っていた。
ホワイトデーではありません。
そして・・・きよと十郎左衛門の恋は・・・。
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