妄想と妄想の間に戦争がありました(黒島結菜)
朝寝坊の女に次いで片づけられない女らしい・・・夏目漱石の妻である。
一方で夏目漱石本人は・・・精神を病んでいる人だった。
夏目漱石がどれほど深刻な精神状態だったかはともかく・・・全人類が精神を病んでいることは間違いないのでどんな虚構でも問題ないのだった。
精神失調だった夫とその悪妻はいろいろとバランスをとるのである。
頭のおかしいお父さんとダメなお母さん・・・どっちがいいと問われた子供たちは・・・天才だからお父さんにはおかしなところもあるけれど・・・お母さんはそれを支えた優しい人だったと答える他ないものな。
だから・・・ある程度・・・妻が立派な人であるためには夫は少しおかしい人である必要が生じるのである。
もちろん・・・「吾輩は猫である」と成人男性が真剣に主張しはじめたら・・・しかるべき医師に相談する必要があります。
で、『夏目漱石の妻・第2回』(NHK総合20161001PM9~)原案・夏目鏡子・松岡譲、脚本・池端俊策、演出・柴田岳志を見た。明治三十ニ年(1899年)五月、熊本市の第五高等学校の英語教師・夏目金之助(長谷川博己)・鏡子(尾野真千子)夫妻に待望の 長女・筆子が誕生したとナレーション担当の鏡子の従妹・山田房子(安藤美優→黒島結菜)は語るのだった。ついに妻と娘という家族のセットを手に入れた金之助だった。しかし・・・鏡子の父親・中根重一(舘ひろし)の尽力により金之助は大日本帝国文部省から英語教育法研究のための英国留学を命じられるのだった。
甘えん坊の鏡子(尾野真千子)は夫と別れるのが・・・嫌だった。
寂しくなっちゃうのである。
「しかし・・・父上の御采配に応えなければならない」
明治三十三年(1900年)五月、金之助は渡英した。途中、パリ万国博覧会やパリ五輪(第2回夏季オリンピック大会)を見物する。
鏡子は東京の中根邸に娘と共に住む。
金之助は異国での独身生活に心を病んでいくのだった。
「金之助くんからの手紙に返事を書かないそうじゃないか」
鏡子は不精な性質なので筆不精だった。
「金之助くんはロンドンで妻から手紙が届かないとこぼしているそうだ」
「おやおや」
「それから・・・報告書を催促した文部省に白紙の手紙をよこしたそうだ」
「あらまあ」
大陸では義和団の乱が起き日本を含む列強8か国と清が戦争状態に突入していた。
十一月には戦艦「三笠」が英国のバロー=イン=ファーネス造船所にて進水式を行う。
世界は激しく振動し・・・金之助が英国人の母国語を学ぶためにロンドンに派遣されているのも世界情勢とは無縁ではない。
明治三十四年(1901年)一月に鏡子は次女・恒子を出産。五月に伊藤博文内閣が総辞職し、六月に桂太郎内閣が成立する。
備後国福山藩士であった中根重一はどちらかといえば旧幕府系である。
福山藩は七代藩主阿部正弘が老中主座となり日米和親条約を締結している。
名主身分となっていた夏目家も元は幕府旗本の家柄である。
どちらも長州出身の元老・伊藤博文と元老・山縣有朋だが・・・どちらかと言えば山縣有朋の方がより門閥主義である。
桂太郎のバックには山縣有朋がおり・・・桂内閣の発足により・・・重一は貴族院書記官長の職を失う。
野に下り成功するものも多いが・・・重一は実業家向きではなかったらしい・・・投資に失敗して借金を作り・・・中根家は傾き出す。
不安になった鏡子は「金銭的な不自由」を手紙で金之助に訴えるのだった。
物価高のロンドンで生活苦にあえぐ金之助の精神は破綻した。
ますます奇行の噂が高まる金之助について・・・鏡子は金之助の学友だった正岡子規(加藤虎ノ介)に相談する。
余命いくばくもない子規は妹の律(大後寿々花)の介護を受けながら死の床から起きあがる。
「金之助は親に捨てられた怨みが心の奥に沈殿しておる。金之助にとって・・・世間はみな敵じゃ・・・御一新からこっち・・・士族は落ちぶれたとはいえ・・・身分の壁は残っている・・・学問で身を立てるにしても世間の風は冷たい・・・金之助は勉強はできるが・・・それだけではどうにもならんものがあるとついつい考えてしまうんじゃ・・・異国の地で東洋人を蔑む白人たちに囲まれて・・・緊張が高まりまくったのじゃろう・・・」
「私はどうすれば・・・」
「帰ってきたら・・・優しくしておあげ」
明治三十五年(1902年)九月、金之助の帰国を待たず、正岡子規は没した。戦艦「三笠」は金之助より一足早く日本に到着した。
明治三十六年(1903年)一月、英国王エドワード七世がインド皇帝に即位し、金之助は留学を終えて日本に帰国する。
東京の新橋駅に降り立った金之助の目は疑心暗鬼に満ちていた。
鏡子の妹・中根時子(秋月三佳)と結婚した建築家の鈴木禎次は入れ替わるように英仏への留学の途につく。
中根邸では重一や嫡男の倫(中島広稀) や鏡子の妹たち・・・そして従妹の山田房子までもが金之助を熱烈に出迎えるが・・・金之助の反応は鈍い。
金之助の心は冷えていた。
「私は見張られている・・・英国の下宿の女将までが俺を軽蔑しているのだ。英国人たちは皆で私を侮蔑していた。そして・・・油断なく私を監視している・・・今はただ休みたい」
四月、金之助には第一高等学校講師と東京帝国大学文科大学講師を兼任する職が用意されていた。
「ああ・・・十万円が欲しい」
国会議員の年俸が千円の時代である。
十万円は国会議員が百年かけて稼ぐ額だった。
金之助は寝床で呟く。
「十万円あれば・・・すったもんだしなくて済む」
「遊んで暮らせるのね」
しかし、寝床では擦ったり揉んだりする金之助だった。
十月には三女の栄子が誕生するのだった。
そして・・・金之助は女中や娘に暴力を振るうようになる。
「私の読書を妨害するために・・・歌なんか歌いやがって」
「この子たちは歌が好きなんです」
「お前なんか出ていけ」
「出て行きます」
子供たちを連れて実家に戻った鏡子だったが・・・中根家の家計はますます火の車となっていた。
「この家も売らねばならん・・・」
切羽詰まった鏡子は医学博士の呉秀三に相談する。
「金之助君は・・・精神の病です・・・異国での過度な緊張状態が・・・追跡妄想などの統合失調状態をもたらしたようだ」
「では・・・私がいたらぬからではないのですね」
「え」
「病気なら・・・看病しなければ」
鏡子にとって「夫に愛されていること」は最重要だったのだ。
鏡子は別居を切り上げ・・・千駄木の夏目家に戻った。
金之助は一人・・・台所で大根を切っていた。
「何故帰って来た・・・」
「ここが私の家ですから」
「・・・」
明治三十七年(1904年)二月、大日本帝国は日露交渉の打ち切りをロシアに通告、旅順港外で大日本帝国海軍はロシア艦隊を攻撃。
十二月、大日本帝国陸軍は旅順203高地を占領する。
ついに借家住まいとなった中根重一は金策に行き詰まり・・・金之助に保証人になってほしいと鏡子に頭を下げる。
「私を甘やかして育ててくれたお父様を・・・甘やかしてあげたいけれど・・・それはできません」
俯いて泣きだす鏡子だった。
「うつむいて・・・膝をかかえる・・・寒さかな・・・一人で寝たら膝小僧が寒かろうもんね・・・泣かないで~」
父は去った。
立ち聞きしていた金之助の心で何かが溶けて行く。
鏡子が・・・父親よりも自分を大切にしてくれたことが嬉しかったのだ。
「愛されていること」を確かめずにいられないのは厄介な病なのである。
金之助は中根倫を呼び出した。
「保証人になると・・・共倒れになってしまう・・・だから・・・これが精一杯だ」
金之助は倫に四百円を渡した。
やがて・・・夏目家に・・・黒猫が迷いこんで来た。
人間より下等な生き物がいることに気がついた金之助は・・・心が癒されるのだった。
「にゃあお」
「にゃあお」
猫を飼うことを許された子供たちは・・・初めて恐ろしい父親に好感を持ったらしい。
金之助は猫に同化していった。
泥棒に入られたのも気付かぬほどに・・・金之助は筆が走った。
高濱虚子に奨められて創作を始めたのだった。
明治三十八年(1905年)五月、日本海海戦でバルチック艦隊が殲滅される。金之助は処女作「吾輩は猫である」を子規に所縁のある雑誌「ホトトギス」に連載形式で発表していた。
「吾輩は猫である・・・名前はまだない・・・いや漱石だ・・・子規から譲り受けたのだ」
明治三十九年(1906年)、中根重一は五十五年の生涯を閉じた。
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