高砂やこの浦舟に帆を上げて大海原を血の色に染め(長澤まさみ)
ヒロイン・高梨内記の娘きり(長澤まさみ)が帰って来た。
史実的には・・・真田信繫の残り寿命も僅かであり・・・きりの女盛りもかなり過ぎているわけである。
一説によれば・・・高梨内記の娘の産んだ阿梅は慶長四年(1599年)生れであり、大坂・冬の陣では数えで十六才になっている。
大坂城内で仙台藩の家臣・片倉重長に乱どりされて後妻となる実在性の高い人物である。
ドラマでは大谷吉継の娘とされる正室の春が阿梅を生んだことになっている。
春は藤堂高虎の陣中にあった蒲生郷喜の正室となるあくり、長男の真田大助幸昌、片倉重長の郎党である片倉(田村)定広の正室となる阿昌蒲、茶人の石川貞清の養女となるおかね、次男で片倉守信を名乗る仙台真田家の始祖大八などを生んでいるとされる。
戦後、未亡人となった春は竹林院を名乗り、石川貞清家に身を寄せる。
石川貞清の正室は大谷吉継の妹という説があり・・・春は叔母の夫の元に身を寄せ、おかねを貞清の嫡男・重正に嫁がせたということになるが・・・実際は・・・竹林院が・・・貞清の後妻になったのかもしれない。
戦国時代にはよくあることである。
阿梅とともに仙台伊達藩には阿昌蒲、片倉守信も身を寄せているわけで竹林院の菩提を弔っていることから・・・阿梅の母も竹林院という説もあるわけである。
高梨内記の娘の消息は不明なのだった。
ドラマでは女商人となった豊臣秀次の娘は大奥の女中となり、佐竹義重の四男・岩城宣隆の継室となり、出羽亀田藩第三代藩主となる岩城重隆を生むなほを生んでいる。さらに信繫の死亡時、豊臣秀次の娘は妊娠中で信繫の死後に三男にあたる三好幸信を京都で生んでいる。幸信はなほに引きとられ亀田藩士となった。
豊臣秀次の娘も消息不明なのだった。
この他に信繫が農家の娘に産ませた娘もいたと言われるが・・・大河ドラマでは主人公が側室たちに子供を産ませまくることは・・・何故か秘事とされるのだった。
まあ・・・省略は虚構の基本と言う他はないわけである。
今回は冬の陣、前哨戦での鴫野の戦いにおける上杉景勝の活躍は割愛されているわけである。上杉景勝はさらに今福の戦いで苦戦に陥った佐竹義宣を救援しているのだった。
後藤又兵衛を狙撃したのは上杉勢だった可能性もあるわけである。
しかし・・・このドラマの主役はあくまで真田信繫なのである。
信繫を景勝が褒めないで誰が褒めるという話なのだった。
で、『真田丸・第45回(NHK総合20161113M8~) 脚本・三谷幸喜、演出・田中正を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は迫真の日本一の兵(つわもの)真田左衛門佐幸村の描き下ろしイラスト大公開でお得でございます。防衛戦では無敵の真田幸村キターッでございました。第一次上田城、第二次上田城、そして真田丸と籠城させたら日本一でございますよねえ・・・。まさに二度あることは三度あるでございました。徳川相手に三戦三勝・・・このまま・・・終われば・・・歴史は変わっていたわけですが・・・そうならないところが・・・歴史を学ぶ意義でございます。しかし・・・敗者がこれほどまでに愛されるというのは・・・日本人の民族的な気質に関係しているのかもしれません。義経、信繫、新撰組・・・みんな敗れて愛されるわけです。まあ・・・勝負ということでは・・・敗者の方が常に多数派ということなのかもしれません。信繫の側室問題に関してはやはり日和見を感じさせる今年の大河ですが・・・その分は信之が頑張っているし、殺して殺しまくってこその戦国武将ということでは真田丸における前田兵、井伊兵の大量虐殺によって・・・達成感がございますな。真田丸の辺りは学校になっていて・・・そこに多数の死体が横たわっていたと考えれば夏の肝試し大会が盛り上がること間違いなしでございますよねえ・・・そこかっ。
慶長十九年 (1614年)十一月十九日、徳川家康のひ孫を正室とする蜂須賀至鎮は家康の孫である池田忠雄とともに守将・明石全登不在の木津川口の砦を急襲しこれを奪取する。二十六日、上杉景勝は斉藤道三の孫である井上頼次の守る大坂城東方の鴫野の砦を急襲し、これを奪取する。上杉勢は反撃を目論む大野治長も撃退する。佐竹義宣は大和川を挟んで鴫野の対岸にある今福の砦を攻撃。江戸重通の孫である戸村義国が守将の矢野正倫を討ち取るが、木村重成、後藤基次の増援に苦戦に陥る。鴫野の砦を攻略した上杉勢は対岸から木村、後藤勢を射撃し、これを撃退する。二十八日、天満川と木津川の合流点に停泊中の大野治胤指揮下の水軍を九鬼守隆らの徳川方水軍が急襲し、これを撃滅する。大坂城北方水域は無防備となる。二十九日、譜代大名の石川忠総と外様大名の蜂須賀至鎮は南北から博労淵の砦を挟撃。守将の薄田兼相は不在で副将の平子正貞は討ち死に。木津川口と博労淵の砦を失い、大坂城の西方は封鎖された。大坂城南方を残し、包囲網を縮めた家康は十二月二日、完成した茶臼山城に本陣を移す。三日、南条元忠の幕府軍に内通が発覚、元忠は切腹。四日、真田丸前面の篠山に籠る真田幸村配下の鉄砲隊を奇襲した前田利光は撤退する真田勢を追撃し、真田丸に殺到する。前田勢に釣られて隣接する松平忠直と井伊直孝は前進し、無防備な側面を真田丸に晒す。真田丸から真田幸村が前田勢、松平勢、井伊勢に猛射を浴びせ千人を射殺する。前田勢二万は半数近くが負傷し撤退。松平勢と井伊勢も戦力を半減させた。家康は井伊直孝の勇猛さを讃え、松平忠直の軍律違反を叱責した。譜代衆に優しく、一門衆に厳しくするのが家康のセオリーである。
前田利光の異母兄であり、養父でもある前田利長は慶長十九年の五月に病没している。
梅毒であったという。
利長は慶長十年(1605年)に隠居し利光に家督を相続させているが・・・若年の利光を陰から支えていた。
利光は後援者を失ってすぐに大坂の陣となったのである。
利光の正室は将軍秀忠の次女・珠姫ですでに一女を出産している。
外様である上杉景勝や蜂須賀至鎮が手柄をあげ・・・利光の中に焦りが生じていた。
利光は数えで二十一才・・・家老の本多政重が側に仕えている。
本多政重は本多正信の次男であり、忍びの者である。
「城中の織田頼長(有楽斎の次男)より忍び矢が届きました・・・真田勢は篠山に鉄砲衆を忍ばせているというこどでございます」
織田頼長は利長の生存中から前田勢と密約を結んだ間者である。
「どうする」
「夜襲をかけて篠山を奪いましょう」
「よきにはからえ」
家康は南方戦線を塹壕戦と考えていた。
塹壕を掘り進め・・・包囲の輪を押し進める作戦である。
篠山の伏兵は・・・真田丸前面に塹壕を掘る前田勢にとって障害となる。
前田勢は篠山奪取のために夜陰に乗じて進軍を開始する。
しかし・・・真田忍軍は・・・大坂城の間者たちの動向の一部をすでに掴んでいる。
淀殿の伯父である織田有楽斎が藤堂高虎と連絡をとり、織田頼長が本多正信に通じていることは幸村に報告されている。
真田佐助は天耳通で・・・前田陣の動きに耳を澄ませていた。
「前田勢が動きだしましたぞ」
「才蔵に仕掛けさせろ」
「は」
才蔵は鉄砲衆とともに篠原にいる。伝心の術で才蔵に前田勢の接近を伝える。
「心得た」
才蔵は篠山に隠された地下道の入り口から鉄砲衆を退避させると・・・霧隠れの法術を開始する。
篠をかき分けて前進する前田勢の先鋒部隊は・・・敵兵が撤退する足音を聞いた。
「おう・・・城方のものどもが・・・逃げて失せるぞ」
「逃がすな・・・追え」
先鋒部隊が夜の闇を進んでいくために・・・前田勢は竹盾などの装備も持たず全体が前進を開始する。
夜明けがやってきたが・・・敵影は見えない。
周囲は濃い朝霧に覆われていた。
視界不良のまま前田勢は全体が前へ前へと進んでいく。
前田勢が抜け駆けをしていると知り、隣の井伊勢、さらに隣の松平勢も駆けだしていた。
その隣の藤堂勢は忍びのものが前進を制御する。
突然、霧が晴れ・・・前田勢はそびえ立つ崖下にいることに仰天する。
「放てえええええ」
谷に銃声が木魂する。
阿鼻叫喚の地獄である。
進むことも退くこともできず前田勢は一網打尽となった。
藤堂高虎は虐殺される味方の姿を遠望する。
「真田の小倅め・・・なかなかにやりよるの」
高虎は間者の動きが露見していることをすでに看破していた。
高虎の忍びは真田丸にも忍んでいるのだ。
そのさらに西側に位置する伊達政宗は嫡男の秀宗をふりかえる。
「見ものじゃのう」
「救援に向わないでよろしいのですか」
「馬鹿を申すな・・・前田勢は関ヶ原で手柄を立て損なったからの・・・少しは人死にを出さねば面目が立たぬのよ・・・こちらはそんな義理立ては必要ない・・・背後の大御所をお守りすればそれで十分だわ」
夕刻が近付き・・・風向きが変わり周囲に血の匂いが漂いだしていた。
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