本懐を遂げるまで死んではなりませぬ(武井咲)
仇討ちとは本来、目上の身内の復讐限定だったという説がある。
つまり・・・父や兄の仇討ちが本筋なのである。
家来が主人の仇を討つというのもあってもいいわけだが・・・王道ではないわけだ。
大石内蔵助が浅野大学長広の御家再興を願ったのは・・・仇討ち回避のためではなく・・・仇討ちに「弟が兄の仇討ちをする」という大義を求めたためだという説がある。
つまり・・・浅野家が再興され・・・浅野大学長広が「主君」となった上で・・・家臣に「仇討ち」を命じるという形式にこだわったというのだ。
しかし・・・結局は「仇討ち前」の「お家再興」は実現しなかったのである。
「和」や「秩序」を重んじる人から見れば「復讐など虚しい」ということになるが・・・「義」や「情念」を感じやすい人にとっては「天晴」な気持ちを生じさせる「快挙」である。
損得勘定では計れない・・・赤穂義士の誕生は・・・庶民の心を鷲掴みにするわけである。
その「人気」におされ・・・浅野家再興が実現するという・・・不思議な結末に到達する。
そういうことって「英国のEU離脱」とか「トランプ大統領誕生」とかよくあることなんだな。
「忠臣蔵」を知っていれば・・・何が起きても驚かないんだな。
で、『土曜時代劇・忠臣蔵の恋〜四十八人目の忠臣〜・第9回』(NHK総合201611191810~)原作・諸田玲子、脚本・塩田千種、演出・黛りんたろうを見た。江戸・芝の源助町で酒屋を営み、かりそめの夫婦となるきよ(武井咲)と礒貝十郎左衛門正久(福士誠治)だったが・・・きよの許嫁であった村松三太夫(中尾明慶)が押し掛けてきたために・・・愛の暮らしに終止符が打たれてしまう。十郎左衛門を慕いながら涙をこらえて実家である浅草・林昌軒に戻るきよだった。
元禄十五年(1702年)七月十八日・・・江戸・木挽町の屋敷で謹慎中の浅野大学長広(中村倫也)に幕府の裁定が伝えられる。赤穂浅野家の本家筋にあたる広島藩浅野家(藩主・浅野安芸守綱長)に永預(ながあずけ)である。「永預」は終身赦免なしが前提であり事実上の「お家断絶処置」であった。浅野家再興は絶望的となったのである。
江戸からの報せを受け、京都山科に隠棲していた大石内蔵助(石丸幹二)は七月二十八日、京都円山に主だった家臣を集め、「吉良邸に討ち入る事」を明らかにした。
円山には堀部安兵衛(佐藤隆太)の姿もあった。
新参者の安兵衛と・・・譜代の国家老内蔵助の心が一つになったのだ。
夏の暑さに蒸せる江戸・・・両国米沢町の堀部家で隠居の堀部弥兵衛(笹野高史)は京からの報せを受け興奮していた。
きよと共に佐藤條右衛門(皆川猿時)が堀部家を訪れる。
「條右衛門殿にもお力添えをいただきたい・・・」
佐藤條右衛門は腕の立つ牢人である。
弥兵衛老人は娘で安兵衛の妻であるほり(陽月華)に條右衛門の着物を仕立てさせていた。
すでに「死」を決意した弥兵衛は気前がいいのである。
同席していた毛利小平太(泉澤祐希)はきよに声をかける。
「伝え聞いたところによれば・・・きよ殿は・・・吉良家の奥向きに伝手があるとか」
「・・・」
きよの縁戚である木屋孫三郎(藤木孝)は商人として吉良上野介義央(伊武雅刀)の正室・富子(風吹ジュン)に侍女のちさ(二宮郁)を斡旋していた。
きよもその気になれば・・・同じ立場を得ることができる。
しかし、孫三郎の従妹であり、きよの亡き母・さえ(大家由祐子)の姉である仙桂尼(三田佳子)は姪であるきよの身を案じ、その件に反対していた。
「なにしろ・・・我らは・・・仇の顔さえ見たこともないのでござる」
小平太は嘆く。
きよの心は揺れる。
両国に架かる大橋なので両国橋である。
江戸城のある西側を単に両国、橋を渡った川向こうを東両国と言った。
隠居した吉良上野介は東両国の本所松阪に屋敷を拝領していた。屋敷と言っても広さは2550坪と推定される大いなる邸宅である。
堀部家の仮住まいのあった両国米沢町は橋の西側で現在の東日本橋の付近である。
安兵衛は・・・橋を渡った本所相生町に偵察拠点としての道場を開いたと思われる。
浅草在住のきよは基本的に徒歩で移動しているが、時には駕籠や舟を利用しているのだろう。
ちなみに十郎左衛門の酒屋は江戸城の南の芝・・・上野介と別居中の富子が住んでいるのはさらに南の白金にある上杉家下屋敷である。
浅草唯念寺に戻って来たきよに・・・すっかり、きよと十郎左衛門の仲を取り持つ天使となっている兄の勝田善左衛門(大東駿介)が・・・緊急事態の発生を伝える。
「十郎左衛門が重い病だ」
「見舞いに行ったらどうだ」と父の勝田元哲(平田満)も背中を押す。
「私は・・・十郎左衛門様に逢わぬことを申しつけられております」
「もう二度と・・・逢えぬかもしれんぞ・・・」
「そんなにお悪いのですか」
「もう死んでいるかもしれん」
慌てて寺を出て走り出すきよである。
勝田元哲には医術の心得があったともされているので・・・きよにも些少の看護力があったようだ。
「よくきてくだされた」と迎え出たのは三太夫である。三太夫は木屋孫三郎の甥にあたる。つまり・・・きよの元許嫁は親類でもあるのだった。
奥の部屋で伏せる十郎左衛門はうなされている。
「熱が下がらぬのです」
「新しい水を・・・それから着替えはありますか・・・薬湯は」
「喉を通らぬようです」
「お医者様はなんと・・・」
「熱が下がらなければ・・・危ういと」
「・・・」
きよは徹夜で看病を続ける。
病は「あかもがさ」と称される麻疹(はしか)であろうか・・・江戸時代では死に至る病である。
一時は医者も匙を投げる重篤な状態となる十郎左衛門。
「死んではなりませぬ・・・十郎左衛門様」
愛しい男の手を握り涙するきよの姿に・・・三太夫は二人の仲を察するのだった。
「き・・・きらを・・・きらを討たねば」と囈(うわごと)を叫ぶ十郎左衛門・・・。
「そうです・・・吉良様を討たねば・・・お殿様の御無念は晴れませぬ」
「・・・」
「十郎左衛門様・・・」
「今夜が峠でございます」と医者坊主。
「きよ殿・・・少し休まれてはどうか・・・もう二日も寝ておられぬ」と三太夫。
「いいえ・・・お側を離れるわけには参りませぬ」
夜明け・・・十郎左衛門は回復に転じた。
「きよ殿・・・すまぬ」と十郎左衛門は言った。
「詫びることなど・・・」
「せっかく救ってもらった命だが・・・本懐を遂げねばならぬ」
「見くびってもらってはこまります」
「きよ殿・・・」
「本懐を遂げさせるためにこそ・・・お命を御救いしたのでございます」
「・・・」
「きよにも・・・お殿様の御無念を晴らすための覚悟がございますゆえ」
きよは・・・心に決めていた。
くのいちとして・・・吉良家に潜入する覚悟である。
夏の終わり・・・江戸に出た吉田忠左衛門(辻萬長)は隅田川の船宿「今戸屋」に江戸の同志を参集させた。
「月見の宴」を装い・・・「内蔵助の討ち入りの決意」を伝えたのである。
病の癒えた十郎左衛門もやってくる。
きよは仲居を装い接待に勤める。
「吉良の屋敷に入ると聞いた」
「はい・・・」
「身体に気をつけよ」
「私は丈夫でございますから」
きよは微笑んだ。
忠左衛門はきよに告げる。
「都鳥(上方の同志)は秋から冬にかけて次々と参る」
「それまでに・・・調べを尽くして参ります」
「お頼み申す」
きよは小石川無量院の仙桂尼を訪ねた。
「ついに・・・決心したのですね」
「はい」
「私も・・・浅野家先代の正室・内藤波知様にお仕えした身・・・寛文十二年に戒珠院殿理庵栄智大姉となられた奥方様の菩提を弔って三十年・・・浅野家への忠義を忘れたことはありませぬ・・・」
「・・・」
「けれど・・・妹のさえが・・・お腹を痛めたお前には・・・命を大切にしてもらいたい」
「伯母さま・・・」
「けして・・・命を粗末にしてはなりませぬよ」
「承知しました」
きよは・・・母の名を借りてさえと名乗り・・・吉良夫人である上杉富子の侍女となった。
富子は白金の上杉家下屋敷に住んでいたが・・・本所松坂町の吉良屋敷との連絡がないわけではない。
吉良屋敷の様子を探り、吉良上野介の動向を調べる・・・密偵としてのきよの日々が始ったのである。
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