本懐を遂げた男の微笑みと残される女の慟哭(武井咲)
「赤穂事件」という史実と「忠臣蔵」という虚構には当然ながら乖離する部分がある。
史実にしても「当時の記録」に依る一種の虚構であり、「本当にあったこと」とは限らない。
何故・・・浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に殿中で刃傷沙汰に及んだのか・・・それさえも憶測の域なのである。
元禄十四年(1701年)3月14日に内匠頭が切腹して、元禄十五年(1703年)12月15日に吉良上野介義央に殺害されるまでに人々がどのように生きたのかを知ることは不可能なのである。
三百年以上昔の話である。
「人命」が何よりも尊重され、「殺人行為」が犯罪に過ぎない現代の日本において・・・「赤穂事件」を正しく認識することは難しいし、「忠臣蔵」を心からエンジョイすることも容易いことではないようだ。
しかし・・・「赤穂浪士」の「快挙」に「喝采」する人々がいて・・・その「物語」は長く庶民に親しまれたのである。
素晴らしいインターネットの世界で繋がれて限りなく軽薄で空虚なものとなっていく人々には・・・それはなかなかに刺激的である。
このドラマは二つの史実を無理矢理結合させた伝奇ものであり・・・ここからはあっと驚く展開が待っているわけだが・・・驚くためにはそれなりに江戸時代に精通している必要がある。
「赤穂事件」よりも・・・「大奥」のあれやこれやはさらに裾野が広いわけである。
犬公方・徳川綱吉(五代)と暴れん坊将軍・徳川吉宗(八代)の間の・・・六代家宣の側室であり、七代家継の母である月光院のことを多くのお茶の間の人々は知らないに決まっている。
ドラマ「大奥」ではいしだあゆみが演じていたなあ・・・。
そういう人にきよはなります。
で、『土曜時代劇・忠臣蔵の恋〜四十八人目の忠臣〜・第13回』(NHK総合201612241810~)原作・諸田玲子、脚本・吉田紀子、演出・伊勢田雅也を見た。元禄十五年十二月十四日(1703年1月30日)・・・赤穂浪士は両国橋を渡り、吉良上野介義央(伊武雅刀)の屋敷に討ち入る。吉良屋敷のあった松坂町と通り一つ隔てた本所相生町に堀部安兵衛(佐藤隆太)の道場と杉野十平次次房の借家、そして前原伊助(山本浩司)の米屋があり、安兵衛、十平次、伊助はそれぞれが裏門隊である。「忠臣蔵」では雪の中を大石内蔵助(石丸幹二)ら四十七士が行進するのが定番だが・・・夜襲に際しては行軍の秘匿が重要となる。おそらく・・・吉良屋敷へは表門部隊、裏門部隊ともに忍び足で接近したのだろう。まず・・・表門部隊の忍びが塀を越え・・・屋敷に侵入、足軽小屋の封鎖を実現したのだろう。表門突入の報せを伝令によって受けた裏門部隊が「陽動」のために裏門を破壊して突破、「火事騒ぎ」を起こす。ここで・・・表門部隊は「主君の仇討ち」の口上を認めた高札を掲げる。表門の主将である内蔵助の下で原惣右衛門(徳井優)は多人数を装う擬装工作を行ったと描写されるが・・・実際は身分が低かったために正式な員数として認められなかった寺坂吉右衛門のような無名の者が戦闘に参加していた可能性がある。
安兵衛と堀内道場の同門である勝田善左衛門(大東駿介)や佐藤條右衛門(皆川猿時)は吉良屋敷の門前で赤穂浪士に本懐を遂げさせるために警備についたのである。
そこへ・・・細井広沢の家からきよ(武井咲)が駆けつける。
「ここは・・・女子の来る場所ではないぞ」
「いいえ・・・私は・・・お側にいたいのです」
「もう・・・討ち入りは始っている」
「・・・」
さらに・・・瑤泉院の差し入れの「蜜柑」をもった細井広沢の門弟が現れる。
「なんじゃ・・・それは・・・」
「瑤泉院様から・・・討ち入りの後の渇きを癒せと・・・差し入れでございます」
「・・・」
その頃・・・赤坂今井の三次浅野屋敷では瑤泉院(田中麗奈)が本懐成就を祈り経文を唱えていた。
「四十八個あります」
「毛利小平太殿が来なかったので討ち入ったのは四十七士だ・・・」
「毛利様・・・」
すでに骸になった小平太のために・・・きよは吉良屋敷の門前に蜜柑を供えるのだった。
屋敷内からは時々、物音や声が響く。
時には断末魔の叫びもあがった。
戦闘が開始されたのはすでに十五日となった寅の上刻(午前四時)頃だったと言う。
吉良屋敷には百人以上の戦闘員がいたと言われるが他にも侍女などもいたために戦闘開始後は喧騒に包まれた。
近隣の武家屋敷からは斥候が出て町人も通りに出てきたわけだが・・・赤穂浪士に心を寄せる支援者たちが穏便に事情を説明したと思われる。
吉良側は死者十五人、背中を斬られて失神した吉良義周など負傷者二十三人、浅野側は侵入時に足を痛めた原惣右衛門、左股に深手を受けた近松勘六行重以外は軽傷だった。
奇襲が成功したのである。
吉良屋敷を制圧した四十七士は屋敷内の探索を開始し・・・台所の物置に潜んでいた上野介を間十次郎光興が刺殺した。
集合のための笛が吹かれ、やがて勝鬨が響く。
激闘二時間、明け六つの鐘が鳴り卯の刻(午前六時)になっていた。
やがて・・・吉良屋敷の門から・・・四十七士が姿を見せる。
場外の支援者たちに内蔵助が告げる。
「本懐遂げ申した」
「おめでとうございます」
蜜柑のザルを受け取った勝田善左衛門が進みでる。
「瑤泉院様からのご進物でございます」
「かたじけない」
四十七士は蜜柑を受け取った。
きよは村松三太夫(中尾明慶)に蜜柑を手渡した。
三太夫は微笑んだ。
きよは磯貝十郎左衛門(福士誠治)に蜜柑を手渡した。
「本懐を遂げ申した」
「おめでとうございます」
十郎左衛門はきよに蜜柑を手渡した。
「達者でな・・・」
「十郎左様・・・」
亡き主君の墓前に上野介の首級を供えるために・・・赤穂浪士の行進が始った。
もはや為す術もなく・・・行列を追うきよである。
江戸八百八町に・・・赤穂浪士の討ち入りは伝播していった。
すでに両国橋の周辺にも見物人が集まっている。
支援者たちは負傷者のための駕籠も用意していた。原惣右衛門と近松勘六は駕籠に揺られた。
内蔵助は吉田忠左衛門(辻萬長)と富森助右衛門を幕府大目付の仙石伯耆守久尚の屋敷に派遣した。
久尚は仙石秀久の曾孫である。
久尚は月番老中稲葉正通に報告した後に登城して将軍徳川綱吉に事態を報告する。
老中の評議の結果、赤穂浪士は細川綱利・松平定直・毛利綱元・水野忠之の四家にお預け(身柄拘束)と決まる。
討ち入りの報せは上杉下屋敷にも届いた。
「母上・・・父上が・・・」
上杉綱憲(柿澤勇人)は富子(風吹ジュン)に悲報を伝える。
「この上は討手を・・・」
「なりませぬ」
上杉家の家老・色部又四郎安長(堀内正美)は変事を知って駆けつけていた。
「ご公儀の御沙汰を待つしかありませぬ」
「しかし・・・父の仇を・・・」
「もうよい・・・」と富子が告げる。「怨みを晴らし合ってもきりがないと・・・あの方は申しておりました」
「母上・・・」
両国から泉岳寺(港区高輪)までは地下鉄なら大門乗り換えで三十分だが歩くと結構あります。
男たちの足は速く・・・きよはいつしか取り残された。
討ち入りという大事が終わり・・・緊張の糸が途切れたのである。
「きよ殿ではありませんか」
路地に蹲るきよに・・・寺坂吉右衛門(川口覚)が声をかけた。
「寺坂様・・・」
「拙者はこれから・・・浅野本家にお預けになっている浅野大学様に報告のため広島に下ります」
「皆さまは・・・」
「泉岳寺に向いました」
「泉岳寺に・・・」
「これにて御免」
「道中・・・お気をつけて・・・」
去っていく寺坂の姿に小平太の姿が重なるきよだった。
「行かなくては・・・」
ようやくたどり着いた泉岳寺は閑散としていた。
寺の門は閉ざされている。
きよは途方に暮れた。
そこへ・・・佐藤條右衛門が姿を見せる。
「おじさま・・・」
「きよ・・・どこにおったのじゃ・・・」
「皆さまは・・・・・・」
「・・・磯貝殿は細川綱利様の屋敷にお預けになった・・・」
「・・・」
「さあ・・・帰ろう」
「どこに・・・」
「浅草の唯念寺に決まっておろう」
「嫌です」
「何を言っておる」
「嫌です」
「きよ・・・すべては終わったのじゃ」
「嫌です」
きよは号泣した。
きよは数えで十八になっている。
しかし・・・今は・・・子供のように泣く他はないのだった。
佐藤條右衛門は仕方なく・・・きよを担ぎあげた。
高輪の泉岳寺から浅草の唯念寺までの道のりもまた遠い。
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