誰かが勝つためには誰かが負けねばならない・・・ただそれだけのこと(長澤まさみ)
慶長二十年(1615年)一月二十四日、真田信繁は実姉で小山田茂誠の正室である村松殿に手紙を認めた。
「たより御さ候まゝ一筆申あけ候・・・さてこの度は不慮のことにて合戦と相成りました。我らが大坂城へ入りましたことは奇怪なことと御推量なされたことでしょう。なにはともあれ一段落し、我らも死にませんでした。お目にかかれたらとは思います。明日どうなるかもわからぬ情勢ですが今の処は落ちついております。主膳殿(小山田主膳正之知・・・村松殿の子・・・信繫にとっての甥)には何度か会いましたが多忙のためにゆっくりと話すこともままなりません。とにもかくにも我らは無事ですのでご安心ください。くわしいことを書きたいのですが使者が土間に立ち待っているのでとりあえずお知らせまで。またあらためてお便りいたします・・・さえもんのすけ、むらまつへ、まいる」
四百年の時を越えて・・・弟が姉に宛てた「文」が残っていることが奇跡のようなものである。
そして・・・弟が姉の心情を想い・・・言葉は少ないが・・・あれこれ綴っていることが現代人にも通じるところがまた面白い。
二月十日、信繫は長女・すえ(阿菊)の婿である石合十蔵からの手紙に返信した。
「・・・我らの安否をおたずねになるのは当然のことでしょう。我らは籠城となれば必死の覚悟をしております。そのためにお目にかかることはもうないと思います。つきましてはいろいろとお心に適わぬことがあっても娘をお見捨てにならぬようお願い申し上げます・・・」
宛先が違うとはいえ・・・わずか半月の間に事態が切迫してきたことが感じられる。
正月に豊臣秀頼は徳川家康に夜着などを献上し、家康は鷹狩りで得た鶴を返礼として贈ったという。
和睦の真偽を双方が探り合っていた時期はほんの数日であったのだろう。
間もなく双方が・・・再戦のための準備行動に移っていったのである。
で、『真田丸・第48回(NHK総合20161204PM8~) 脚本・三谷幸喜、演出・清水拓哉を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回はこの大河ドラマによってこれのまでの悪評を覆した大野修理大夫治長の描き下ろしイラスト大公開でお得でございます。ついに来ましたな。織田有楽斎がナレ送りになったので・・・大蔵卿局も千姫も常高院もイラスト化は望み薄でございましょうか・・・しかしあくまでマイペースでお願い申しあげます。大穴は真田大助かっ。「引鉄」と銘打たれた今回。泥にまみれた真田の女たちが「レアアイテム」を入手したのもおとりさまの導きでございましょうかね。そして・・・信之と幸村、信吉と信政、治長と治房・・・兄弟の葛藤を重ねて兄弟喧嘩の火蓋がきられる展開と本当にいろいろと仕掛けてきますねえ。そして・・・姉婿である義理の兄に・・・戦の心得を問う幸村・・・溺れるものが藁をもつかむ展開で・・・幸村の必勝の信念の揺らぎさえ感じさせた後で「お宝」入手・・・巧なんだなあ・・・匠の術なんだなあ・・・。騎馬鉄砲ではなく・・・馬上筒かあ・・・連発でないと命中率がなあ・・・。時空を越えてロケットランチャーを贈りたいものです・・・。
慶長二十年(1615年)正月三日、二条城を出た徳川家康は立ちよった名古屋城で大坂城の二の丸の堀の埋め立てが進行している報告をうける。十九日、徳川秀忠は二の丸の完全な破却を確認して伏見城に帰陣する。二月十四日、家康は駿府城に帰着する。二十六日、伏見城代・松平定勝、京都所司代・板倉勝重の密偵である小幡勘兵衛景憲が大野治房の客将として大坂城の軍評定に参加する。豊臣秀頼による牢人の新規召し抱えを禁じた和睦の約条に違反する行為を幕府側が仕掛けたのであった。三月、景憲に密偵の嫌疑がかかる。景憲は堺を経由して脱出した。大坂方が野戦の支度を開始していることが家康に報告される。家康は砲弾の鋳造開始を命じる。月末、幕府は江戸の旗本衆に陣触を発する。四月、幕府は将軍の出馬を諸大名に通知する。家康は旗本衆を率いて駿府城を出陣した。家康の先手として藤堂高虎の兵五千が淀古城に進出する。井伊直孝は彦根から伏見に進出する。幕府軍が近郊に集結しつつある報せを受け、開戦を決意する。織田有楽斎、長頼父子は大坂城を脱出し京都に逃亡した。九日、大野治長は治房配下の刺客に刺され負傷する。
「左衛門佐はおらぬか・・・」
「ここに」
真田丸での戦勝後、幸村は秀頼の側に仕えるようになった。
お召しがあれば参上しなければならない。
常人であれば不自由を感じるところだが・・・幸村は上方の真田忍軍の頭である。
七人の影武者が・・・それぞれの立場で業務をこなすことができるのだった。
「将軍と大御所が攻めてくるそうだな」
「御意にございます」
「今度も勝てるか」
「勝敗は時の運と申します」
「そうか」
幸村は七才までの秀頼を知っている。
それから十四年が過ぎ去り、再会した秀頼は二十二才になっていた。
秀頼が秀吉の血族かどうかを疑うものも多いが・・・幸村は・・・秀頼の顔に・・・秀吉の面影を見ることがある。
織田家、浅井家という武家の血に卑賤の身から関白にまで成りあがった秀吉が混交し、一種の傑作として仕上がったのが秀頼である。
六尺五寸(197㎝)の身長に・・・四十三貫(161㎏)の体重・・・堂々たる巨漢である。
しかし・・・秀吉の死後・・・大坂城で飼い殺されたような生活を送ってきた秀頼はその天才をほとんど活かしようもなかった。
秀頼が大坂城を出たのは四年前の上洛の時のみであった。
天下を統一した男の嫡男は天下というものをほとんど知らなかったのだ。
突然、舅である将軍家との合戦が始り・・・戸惑いを感じていた時に・・・彗星の如く真田幸村という武将が現れたのである。
秀頼は・・・幸村に亡き父への失われた愛慕を見出していた。
「父がご存命であった頃・・・よく木に登ったのう・・・」
「太閤殿下は猿飛の術の達人でございましたから・・・」
「左衛門佐もなかなかの名人だったではないか」
「真田のものは皆・・・忍びでございますから」
「父が亡くなってからは・・・母に木登りを禁じられてしまった」
「さようでございましたか」
「大御所や将軍は・・・私を殺したいのだろうか」
「他人の心中は伺い知れぬもの・・・しかし、大御所は必要とあれば・・・わが妻であれ・・・わが子であれ・・・命を奪うことをためらうことなきお方でございます」
「父もそうであったそうだな・・・わが従兄弟である関白の一族をことごとく殺した・・・」
「・・・」
「そういうことへの報いがわが身にふりかかるのは・・・仕方なきことやも知れぬ」
「上様・・・そのようなことは考えても詮無きことでございまする」
「であるか・・・」
「もののふは・・・守るべきものを守るために戦うのみ」
「・・・」
「真田左衛門佐幸村・・・上様を命懸けでお守りいたす所存・・・」
「ふふふ・・・なにやらこそばゆいのう・・・」
「こそばゆい・・・」
「おのがために死んでくれるというものがいるのだぞ・・・これほどのこそばゆさはほかにあろうか・・・」
「上様・・・」
幸村は・・・秀頼を心の底から可愛いと思った・・・。
秀頼を抹殺するための軍勢は山城国と大和国に集結しつつあった。
海からは幕府水軍衆が迫っている。
慶長二十年の春が終わろうとしていた。
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