愛を乞うひと(篠原涼子)母が祖母に虐待されていた話(広瀬アリス)
記憶は常に曖昧なものだ。
子供の頃の記憶は時に増幅されたり改竄されたりして実際に起きた出来事とは違う場合がある。
親が子供を折檻するのが当然だった時代、親の振るう暴力は想像を絶するものだったが・・・実際にはそれほどのことではなかったのかもしれない。
父はそんなにひどくは殴らなかったと言うが・・・玄関先で子供を殴り続け隣の家の老夫婦が止めに入ったほどには殴ったのである。
だが・・・そんなことは日常茶飯事だった。
そういう時代は確かにあった。
もちろん・・・今、同じことをすれば「問題」となるのは明らかである。
だから・・・「虐待」をする親は・・・こっそりとやるのだ。
気がつけば子供は死んでいる場合があるのだった。
で、『愛を乞うひと』(日本テレビ20170111PM9~)原作・下田治美、脚本・後藤法子、演出・谷口正晃を見た。過去と現在が交錯する物語だが・・・現在もまた過去なのである。原作小説が世に出たのが平成四年(1992年)ですでに二十五年前である。現代と二十五年前では親と子の関係はかなり変化していると言える。映画化されたのが平成十年(1998年)で前世紀の話である。映画版(脚本・鄭義信、監督・平山秀幸)も原田美枝子が虐待する母親役と成長した娘役の二役を演じている。そういう意味でこのドラマは映画版に依るところが大きいと思われる。
幼い娘に対する母親の暴力を目の当たりにして娘の友人が恐怖で失禁する場面を映画版では照恵の子供時代の友達(大沢あかね)が演じていたが、ドラマでは照恵の友達・康子(纐纈羅紗)が忠実に再現している。文部科学省選定作品として譲れぬシーンだったのだろう。
「ごめん」
「お母さんはなぜ・・・すぐ謝るの」
娘の山岡深草(広瀬アリス)に詰られて口ごもる山岡照恵(篠原涼子)・・・。
照恵は心に深い傷を隠していた。
そんなある日・・・警察から電話があり・・・異父弟の和知武則(ムロツヨシ)が詐欺容疑で逮捕されたことが告げられる。
弟と別れたのは昭和四十年(1965)頃で・・・二十年以上前である。
あの日・・・高校を卒業して就職したばかりの照恵は・・・給料袋を持って家出したのだった。
鬼のような形相で追いかけてきた母親の豊子(篠原涼子・二役)を幼い武則がむしゃぶりついて制止したのだ。
それから・・・照恵は山岡裕司(平山浩行)と出会い、結婚して娘の深草を授かった。
娘の深草がものごころがつく前に事故で夫と死別した照恵だったが・・・娘と二人今日まで生きてきたのである。
娘は大人になって照恵は四十歳になっていた。
「姉さんの顔が見たくなった」
「・・・」
「下着と煙草を差し入れてほしい」
「・・・」
「あの人には頼みたくないんだ・・・」
弟の言葉に頷く照恵。
「お婆ちゃんは死んだんじゃなかったの」
娘に問われて・・・照恵は昔話を始める。
「あの人の話」を・・・。
昭和二十八年(1953年)・・・五才の照恵(庄野凛)の手を引いて父の陳文英(上川隆也)は家を出た。恐ろしい顔をした女が叫んでいた。それが照恵の母親の陳豊子だった。
父は優しかったが、まもなく病に倒れた。
父が身を寄せた親類の台湾人・許育徳 (杉本哲太)と許はつ(木村多江)の夫婦も優しかった。
昭和二十九年(1954年)・・・父は他界した。照恵は父のくれたお守りを形見として施設に入所する。
そして・・・昭和三十三年(1958年)・・・十歳となった照恵(鈴木梨央)を母親の豊子が迎えに来たのだった。
中島武人(寺島進)と再婚した豊子は・・・すでに武則を生んでいた。
「これが新しいお父さんだよ」
「・・・」
「お父さんといいな」
「・・・お父さん」
「声が小さいよ」
中島と昼間から情交するために豊子は照恵に幼い弟を連れて外に出るように促すのだった。
やがて、夜の商売を始めた豊子は照恵に暴力を振るうようになる。
ある夏の夜。
「お祭りに行ってもいいですか」
「誰と・・・」
「康子ちゃんと一緒に・・・」
「行ってきな」
「あの・・・お小遣いを・・・ください」
「なんだってえ」
煙草の火を照恵に押し付けた豊子は殴る蹴るの虐待を開始する。
「何、見てんだよ」
豊子に睨まれた康子は玄関で失禁してしまうのだった。
照恵には無数の傷跡が残された。
やがて中島と別れた豊子は照恵と武則を連れて和知三郎(豊原功補)と暮らし始める。
しかし・・・照恵の虐待は止むことがなかった。
「あの娘可愛いや・・・カンカン娘・・・」
昭和二十四年(1949年)のヒットソングを口ずさむ豊子・・・。
豊子の機嫌をとろうと照恵も歌う。
「うまいねえ」
「・・・」
「歌いなよ」
「あの娘可愛いや・・・カンカン娘・・・」
「色気づきやがって・・・生意気なんだよ」
照恵は豊子に鼓膜が破れるまで殴られ、股関節が変形するまで蹴られるのだった。
「おまえなんか・・・誰の子だか・・・わかりゃしないんだ」
父親との思い出さえ汚されて・・・それでも・・・大人になるまで・・・豊子と暮らした照恵だったのである。
母親の凄惨な子供時代の話を聞き、呆れる娘の深草だった。
「なによ・・・それ・・・完全に虐待じゃないの」
「そういう時代だったんだよ」
「それにしたって・・・やりすぎでしょ・・・」
「私は・・・お父さんのお墓がどこにあるのかも知らないの」
「じゃ・・・探そうよ」
照恵と深草は・・・探索を開始する。
そして・・・ついには父親の故郷である台湾にたどり着くのだった。
そこに待っていたのは年老いた許夫妻だった。
許夫妻が照恵の身を案じていたと聞き・・・心が和む母と娘である。
許夫妻は照恵の両親について話す。
戦後の混乱期の中・・・豊子は女一人で生きていた。
明示されないが・・・売春婦(パンパン)だったのである。
闇市で商売をしていた文英は愚連隊と大立ち回りをして豊子を苦境から救い出したのである。
二人は仲陸じい夫婦となって・・・照恵を生んだのである。
「照恵と名づけたのは豊子さんだった・・・陽のあたる暮らしが出来るようにと・・・」
しかし・・・親の愛を知らずに育った豊子は・・・子供の愛し方を知らなかった。
「照恵ちゃんに暴力を振るうようになって・・・文英は豊子を捨てたのよ」
豊子は・・・夫を奪った娘を憎んだ。
憎みながら愛していたのだった。
ちなみに「東京カンカン娘」のカンカンには・・・パンパンとの関連性がある。
パンパンとは肉体と肉体がぶつかり合う音だが・・・カンカンとはそうせざるをえない時代への怒りが込められている。娘たちはカンカンに怒っているのである。
豊子にとって・・・「東京カンカン娘」は自虐的な歌だったと妄想できる。
その歌は豊子の怒りの導火線に着火する何かを秘めているのであろう。
許夫妻のアドバイスで・・・文永の遺骨は日本に葬られていたことがわかるのだった。
照恵と深草の旅は終わりに近づいていた。
「私・・・あの人に会いに行こうと思う」
「姉さん・・・」
照恵は収監中の武則に告げた。
小さな町でスナックを営む豊子に会いに行く二人・・・。
六十代になっている豊子は照恵に気付かない。
照恵は歌った。
「あの娘可愛いや・・・カンカン娘・・・」
豊子は照恵を振り返った。
そして・・・深草を見る。
「娘かい」
「娘です」
「かわいいね」
「・・・さようなら」
照恵は店を出た。
深草は追いかける。
「お母さん・・・」
「あんなに・・・小さい人だと思わなかった・・・もっと大きくて怖い人だと思っていた」
「ゴジラじゃないんだから」
「あの人に・・・愛されたかった・・・可愛いと言ってもらいたかった」
「言ってたんだよ・・・」
「え」
「あの娘可愛いや・・・カンカン娘・・・」
「・・・」
「お母さんのことだったんだよ・・・」
小さな町に夕暮れが訪れようとしていた。
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