天文十四年、井伊直盛じぇじぇじぇと叫ぶ(杉本哲太)
戸籍謄本のない時代の話である。
生没年が明らかでないものは多い。
この物語の主人公である井伊直虎の生年月日も不明とされている。
つまり・・・井伊直満が暗殺された天文十三年十二月二十八日(1545年2月4日)に直虎が何歳だったのかは不明なのである。
ちなみに直虎の父親・井伊直盛の生年にも諸説あるが定説では大永六年(1526年)ということになっている。
つまり、直盛はまだ二十歳前なのである。
民法第731条のない時代である。
男が何歳で結婚しても構わない。
直虎の幼年期を演じる新井美羽の実年齢が10歳なので・・・仮に天文三年生れだとすると直虎は十歳前に第一子を得たことになる。
つまり・・・かなり早熟だったわけだ。
十歳で精通があることはないわけではなく特に問題はない。
ただし・・・お茶の間がそれを受けとめるかどうかは別問題なのである。
直盛を演じる杉本哲太は51歳である。
映画「白蛇抄」(1984年)で日本アカデミー賞新人賞を受賞した頃を思い出しながら見るとちょうどいい感じだ。
今川義元が「花倉の乱」に勝利し、家督を継いだのは天文五年(1536年)のことである。
義元は仏門にあったために直盛の祖父・直平が娘を側室として駿府に送るのはそれ以後のこととなる。
同様に・・・義元が井伊氏の目付(監視役)として新野左馬助親矩を送り、左馬助の妹を直盛と婚姻させたとすると天文三年~五年の誤差が生じてくる。
天文十三年に直虎は八歳だったのかもしれない。
天文六年、数えで十九歳となる今川義元は武田信虎の娘(定恵院)を正室とする。
天文七年、定恵院は今川氏真を生んでいる。
直平の娘は今川家臣の関口親永に譲渡されて・・・徳川家康の正室となる築山殿を出産する。
築山殿の生年月日は不明だが・・・つまり・・・彼女の父親は今川義元だったかもしれないのである。
で、『おんな城主 直虎・第2回』(NHK総合20170115PM8~)脚本・森下佳子、演出・渡辺一貴を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は主人公・井伊直虎の幼少時代・おとわの描き下ろしイラスト大公開でお得でございます。柴咲コウが十歳の少女を演じることを回避したのに・・・ヤンパパとヤンママである両親を五十代の二人が演じることになっているのでございますよねえ。これが大河ドラマの宿命というものでございましょうか。祐椿尼は実年齢的に芳根京子でも未来穂香でも松井珠理奈でも黒島結菜でも中条あやみでもよかったのに・・・。それはそれとして主人公の「純愛妄想」にやや傾斜が激しい感じはいたしますねえ。まあ・・・暴走する女主人公が・・・大好きな人がいるのかもしれませんが・・・。少なくとも・・・今川の目付である新野左馬助親矩の妹である直虎の母の苦しい立場というものはもう少し見せた方がコクが出るような気がします。兄妹の関係がほとんど描かれておりませんからね。そういう大人の事情が理解できないからこその「子供の愚かさ」をハラハラ見守りたいものです。なにしろ・・・許嫁の親が殺された直後の話なのでございますから・・・。井伊谷の治安が少し・・・良すぎるのかもしれません。あるいは・・・よくある総領の地位をめぐる叔父と甥の確執成分が足りないのかもしれません。普通に考えて・・・直盛と小野和泉守は一蓮托生でございますよね。二人の父親はしめし合わせて娘と息子を結婚させようとしていますよね。井伊谷をなんとかする会的に・・・。袖が浜漁協の組合長もいることですし~。
天文三年(1534年)、織田信長生れる。天文四年(1535年)、今川氏親の娘(瑞渓院)、北条氏康の正室となる。天文五年(1536年)、北条氏綱が東駿河に侵攻。天文六年(1537年)、豊臣秀吉生れる。室町幕府第十二代将軍・足利義晴が退避していた近江から京に帰還。天文七年(1538年)、氏綱は小弓公方・足利義明を討ち取る。天文八年(1539年)、氏綱の娘(芳春院)が古河公方・足利晴氏の継室となる。天文十年(1541年)、武田晴信が父・信虎を追放。将軍・義晴、近江に再度退避。氏綱が死去。天文十一年(1542年)、晴信は諏訪頼重を自害させ信濃国諏訪を領土化。徳川家康生れる。将軍義晴、京に帰還。織田信秀と今川・松平連合軍が三河国小豆坂で最初の激突。天文十二年(1543年)、晴信は信濃国小県長窪城の大井貞隆を自害させる。将軍義晴、近江に三度退避。長尾景虎が元服する。天文十三年(1544年)、晴信は氏康と同盟を締結。今川義元は交戦中の北条氏に対して武田氏を通じて交渉を行う。景虎は初陣の栃尾城の戦いで越後国人衆を撃破。天文十四年(1545年)正月、亀之丞(井伊直親)は信濃国伊那郡松源寺へ落ち延びた。義元は北条氏に奪われた東駿河の奪回作戦を準備していた。
駿府は東国の都と呼ばれ栄華の中にあった。
京の都を模した街には正月の賑わいがある。
今川義元の父・氏親の代に遠江国守護の斯波氏を退け、駿河国、遠江国の二国の守護となり、さらに三河国を手中にしつつある。
かっての臣下であった北条氏に東駿河を奪われ、甲斐国の武田氏からの圧力も受けているが・・・義元は太守と呼ばれるに相応しい軍事力を築きつつある。
義元の住む今川館に近い今川関口屋敷で・・・自分は・・・かって義元の妻であった・・・と佐名は密かに想う。
今は・・・武田から来た姫が義元の正室となっている。
武田の姫は・・・今川家の嫡男を生んだ。
自分にも・・・機会はあったと佐名は幼い娘・瀬名を見つめて思う。
父・直平の命を受け・・・人質として今川屋敷に送られ・・・義元と情を通じて・・・もしも男子を生んでいれば・・・側室としてそれなりの地位を与えられただろう。
しかし・・・生れたのは女子だった。
佐名は・・・今川が武田と縁組するにあたり・・・一門衆とは言え臣下の今川刑部少輔親永に生れた女子とともに下されたのである。
佐名は屈辱を感じた。
自分も・・・井伊の姫だったのだ。
だが・・・国人衆の一人に過ぎない井伊家と・・・二カ国の守護である今川家の間には恐ろしい実力の差があった。
庭で・・・鳥が囀った。
佐名は庭先に出る。
庭には忍びの者がいた。
「光月法師か・・・」
「御意」
「兄の子は・・・どうなった」
「・・・おちのびましてございます」
「面倒なことだな・・・新野殿が責められよう」
「小野和泉守様にとっては・・・それが狙いでございましょう」
「法師は・・・小野の家のものであったな」
「今は・・・佐名姫様の影のものでございます」
「父上は達者か・・・」
「少し・・・御気落ちのようでした」
「欲をかきすぎたのじゃ・・・」
「・・・」
「父上にはこれ以上・・・咎められぬことのなきよう・・・務めると伝えよ」
「畏まって候」
光月法師は消えた。
修験の道を極めた法師は最初からそこにはいなかった。
気をこらした幻を佐名に見せていただけなのである。
井伊のくのいちである佐名は・・・夫である親永を操るための方策を案じはじめる。
佐名はまだ・・・自分の容姿に自信を持っていた。
今川にとって新参者である井伊が臣下として生き延びるために・・・佐名のできることをするしかないのだ。
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