孕めば勝ちの世界(武井咲)
虚構の世界の一つに伝奇というものがある。
伝奇は歴史のようなものだが・・・正史というには憚りがあるようなものである。
七代将軍・徳川家継の生母・月光院が赤穂義士・磯貝十郎左衛門の内縁の妻だった。
・・・というようなことは伝奇である。
基本的に虚構なのでなんでもありなのである。
作り手もお茶の間もそういう「幻想」を楽しむしかないのである。
「常識」というものには三つの難しさがある。
一つは「地域性」である。都会の大病院では個室でなくてもそれぞれのベッドにテレビが付属しているのが普通だが・・・地域によってはそうでもなかったりする。
一つは「時代性」である。たとえば素晴らしいインターネットの世界以前の世界と以後の世界はもはや別世界である。
一つは「個人性」である。日本人でも英語がペラペラの人もいれば日本語も怪しい人もいるわけである。
朝ドラマで「裕福な家庭の家族と使用人に待遇の差がある」ことに違和感を感じる中流家庭の人は多いだろう。
「使用人」を使ったことのない人には実感がないのだろうが「使用人」は「使用人」なのである。
朝ドラマで「お嬢様」があまりにも大切にされすぎるという人も多いだろうが・・・それが「お嬢様」というものなのだ。
朝ドラマで次男坊が・・・「本家」で臨終を迎えたいと願うことを不自然と感じる人も多いだろうが・・・「家督」を長男が継承する家父長制度では自然のことなのである。なにしろ・・・次男は鐚一文もらえないので無一文の場合さえあるのだった。
「大奥」のことについて多くを知らない人々に「伝奇」を伝えるのはかなり冒険であるが・・・どうせ知らないだろうと手を抜くと火傷することがあるので注意が必要だ・・・。
で、『忠臣蔵の恋〜四十八人目の忠臣〜・第17回』(NHK総合201702041810~)原作・諸田玲子、脚本・吉田紀子、演出・船谷純矢を見た。「忠臣蔵」篇できよ(武井咲)と十郎左衛門(福士誠治)の純愛を描けば描くほど・・・「大奥」篇できよが喜世の方となって甲府宰相・徳川綱豊(平山浩行)の愛妾となり、さらには左京の局となって懐妊することは一種の残酷物語となっていく。きよはまさに「子を生むための道具」となったのである。
「女は産む機械」などと言えば非難轟々の現代ではおぞましいフィクションと言えるわけである。
しかし・・・「フィクション」に「これはフィクションです」と但し書きをつけてなんとか宥めなければ「フィクション」が死んでしまうのである。
「フィクション」の「戦場」でどれだけ「戦闘」があっても「戦死」する人はいないのでございます。
ただし・・・「法律上の戦闘とは言えない武力衝突」で「戦死」する人はいないとは言い切れない。
一刻も早く、戦場で軍人が戦死できる国家になってもらいたいものだ。
おいおいおい。
「大奥」は「男子禁制」である。
何故かと言えば・・・生れたのが誰の子かが・・・重要だからだ。
そのために・・・いくら将軍ではなくて大名だからとはいえ・・・殿のお手付きになった侍女が簡単に外出など許されない・・・とは言うものの・・・あくまでフィクションである。
江戸の庶民に大人気の赤穂義士だが・・・将軍家からは切腹を命じられた罪のある人々である。
現に赤穂義士の遺児たちは遠島処分になっている。
次期将軍候補の徳川綱豊のお手付きになった侍女が・・・赤穂義士の眠る泉岳寺で墓参りすることはかなり・・・危ない橋の上にいる・・・という話だ。
「十郎左様・・・お逢いしとうございます」
・・・などと呟いている場合ではないのである。
そこにこれがどうしようもなくフィクションであることを強調するために登場する十郎左衛門と瓜二つの間部詮房(福士誠治)なのだった。
間部詮房は徳川綱豊の小姓・・・腹心である。
綱豊の周囲には「世継ぎを生ませて将軍レースに勝とうプロジェクト」が展開中なのである。
儒学者・細井広沢(吉田栄作)がきよの類まれなる美貌に目をつけ・・・「お喜世の方」として桜田御殿に送り込んだのは「プロジェクト」の一環なのである。
何故なら・・・綱豊がその気になる女でなければ役に立たないからだ。
間部詮房はすべての事情を知り・・・「お喜世の方」を監視し保護する密偵なのである。
喜世は・・・十郎左衛門が蘇ったと思ったのだが・・・そんなことはないのであった。
「あなた様は・・・」
「間部詮房と申します・・・お喜世の方様をお迎えにあがりました」
「私を迎えに・・・」
「お喜世の方様は・・・いずれ・・・殿の側室となるお方・・・」
「・・・」
「どうか・・・お慎みくだされますように」
しかし・・・喜世にはまだ自分の置かれた立場への理解が不足しているのだ。
桜田御殿の褥で綱豊の男根にわが身を貫かれながら・・・それがわが身のこととは実感できないのだった。
「慎む・・・」
「家臣一同が・・・お世継ぎ誕生を待ちわびていることをお忘れなきよう」
「お世継ぎを・・・」
それが・・・喜世に定められた運命なのだった。
徳川将軍家は初代家康から秀忠、秀忠から家光、家光から家綱と順調に父子相続を重ねてきた。しかし、家綱が嫡子を得ないまま逝去し・・・弟の綱吉が五代将軍を継承したのである。綱豊の父・綱重は綱吉の兄であり継承順位は上だったが・・・四代将軍・家綱に先立って死去していたのだった。五代将軍となった綱吉も嫡子がなく・・・唯一の娘である鶴姫が正室となった紀州藩主の徳川綱教が次期将軍の有力候補となっていた。綱吉の生母である桂昌院は血縁である鶴姫が綱教の子を産むことを強く願っていたのである。名君の誉れも高く、三代将軍・家光の孫である綱豊も有力な後継者候補であった。もし・・・綱豊に・・・綱教より早く嫡子が誕生すれば後継者レースはかなり有利となるのである。綱豊の正室である近衛熙子(川原亜矢子)は長女・豊姫と長男・夢月院を産んでいたがいずれも早世していた・・・。
「お喜世の方様の悲願が成就することを祈っております」
「悲願・・・」
それが・・・綱豊の側室となって跡継ぎを産むことなのか・・・別の意味を含んでいるのかは明らかにしない詮房だった。
桜田御殿では・・・侍女頭の唐澤(福井裕子)が喜世の指南役である江島(清水美沙)とともに喜世付の侍女を叱咤していた。
「喜世の方を残して戻ってくるとは何事ぞ・・・」
「申しわけございませぬ・・・」
そこへ・・・喜世が無事に戻ったと報せが入る。
「江島・・・」
「わかっております」
江島は喜世に告げる。
「喜世の方様は・・・御自分の立場をわかっておいでか」
「申しわけございませぬ・・・」
「もしも・・・喜世の方様に何かあれば・・・帰された侍女は死ぬ他ないのですぞ」
「え・・・そんな」
「よくよく・・・お考えあれ」
喜世はわが身の変転に驚くのだった。
綱豊は詮房より報告を受けていた。
「喜世はどこにおったのだ・・・」
「泉岳寺でございます」
「泉岳寺・・・なぜ・・・そのような場所に・・・」
詮房は理由を語らなかったが・・・綱豊は何事かを察した。
「喜世の方様を推挙したのは・・・柳沢吉保様でございましたな」
「柳沢は・・・余に乗り換えたようで・・・油断はならぬな」
「いかがいたしますか」
「喜世の方の出自については細井広沢に今一度問うてみよ・・・喜世は捨てるには惜しい」
「は」
そこに急使が到着する。
「何事じゃ」
「鶴姫様がご逝去とのことでございます」
「なんと・・・」
鶴姫は宝永元年(1704年)四月十二日に疱瘡のため死去した。二十七歳だった。
綱豊にとってそれは朗報だった。
桜田御殿では・・・侍女たちが噂話をする。
「これで・・・お殿様が・・・御世子様に決まったようなもの」
「我らも・・・お城に入れましょうか」
「それはわかりませぬ」
喜世より先に綱豊の寵愛を受けていた古牟(内藤理沙)が喜世に囁く。
「大丈夫ですよ・・・私たちは・・・殿に格別のご恩を受けていますもの・・・一緒に精進いたしましょう」
古牟が喜世を呪詛していることを知った後では・・・猫撫で声も恐ろしいのである。
細井広沢は間部詮房の顔をつくづくと眺めた。
「あなた様が・・・間部詮房ですか」
「さようでございますが・・・なにか」
「いや・・・実に・・・福相ですな」
「顔相もご覧になるのですか・・・」
「いかにも・・・あなた様は・・・喜世の方様の守り本尊となられるだろう」
「・・・」
「私は・・・甲府宰相様こそが・・・世直しをなされる方と占っております」
「世直し・・・」
「庶民は倦んでおりまする・・・たとえば・・・お犬様のこと・・・たとえば・・・赤穂浪士の騒動のこと・・・」
「赤穂浪士・・・ですか」
細井広沢は微笑んだ。
宝永元年十二月五日・・・五代将軍・綱吉は綱豊を世子(世継ぎ)と定めた。
豊綱は家宣と改名し江戸城西の丸に入る。
柳沢吉保は綱豊の甲斐国甲府城を与えられ、十五万二千石の大名となった。
喜世の方は正式に将軍世嗣・徳川家宣の側室となり・・・「左京の局」となった。
ただし・・・左京の局と呼ばれるようになったのは男子出産後とも言われる。
古牟は右近の局となった。
「おめでとうございます」
唐澤と江島は側室に仕える立場となった。
西の丸・奥御殿(本丸の大奥とは別)のトップは正室の近衛煕子である。
煕子の父は関白・近衞基熙であり、母は常子内親王(後水尾天皇皇女)である。
左京の局や右近の局とは比較にならない高貴な家柄であった。
正室付御年寄の岩倉(ふくまつみ)は「御目通りが許された」と左京の局と右近の局を煕子の元へ案内する。
「つまらないものだが・・・京からとりよせたらくがんじゃ・・・召し上がれ」
戸惑う側室たち・・・。
「遠慮することはない」
「では御言葉に甘えて・・・」
二人は菓子を味わう。
「美味しゅうございます」
「ほほほ・・・殿のために御励みくだされ」
二人が去ると・・・煕子は大典侍のお須免(野々すみ花)を見る。
「あのような下賎のものに・・・遅れをとってはなりませぬぞ」
大典侍(おおすけ)は女官の最上位であるがお須免は家宣の側室の一人でもあった。
お須免の方もまた・・・懐妊を求められていたのである。
奥座敷に下がると江島はお小言を言うのであった。
「召し上がれと言われても召し上がってはなりませぬ」
「・・・」
「公家の言葉は武家の言葉とは逆さまなのです」
「・・・」
「それに・・・お方様は・・・大の猫嫌い・・・その猫もどうにかせねばなりませぬ」
「そんな・・・」
右近の方は愛猫の「みい」を抱きしめる。
「この子なしでは生きておられませぬ」
「とにかく・・・部屋から一歩も出してはなりませぬ」
左京の方はただただ圧倒されているのだった。
「先が思いやられるな」と唐沢・・・。
「けれど・・・」と江島は密かに告げる。「左京の方への・・・殿のご寵愛は尋常ではございませぬ」
「それは・・・そうじゃが・・・」
「左京の方は・・・何か魔性を秘めているのかもしれませぬ」
「・・・」
どのような・・・手段を用いたのか・・・仙桂尼(三田佳子)が西の丸に姿を見せる。
・・・フィクションだからな。
「伯母様・・・」
「左京の方様・・・大層なご出世おめでとうございます」
「仙桂尼様もお変わりなく・・・」
「本日は瑤泉院様からの文をお届けにあがりました」
「瑤泉院様から・・・」
瑤泉院は喜世の出世を祝福する。
もちろん・・・そのようなことは秘中の秘で・・・このような場所で口にすることではない。
この後も仙桂尼はとんでもない言葉を口にし続けるが・・・あくまでフィクションである。
「富子様がお亡くなりになりました」
「富子様が・・・」
吉良上野介の正室・富子こと梅嶺院(風吹ジュン)は宝永元年八月八日に死去した。
「遠島になったもののうち・・・間瀬久太夫様の次男の間瀬正岑殿は病で亡くなったそうです」
「・・・」
「しかし・・・私はあきらめておりませぬ・・・そなたも・・・そなたのお勤めをしっかりとなさいませ」
「・・・私の務め」
「お殿様のお子をお生みになることです」
それが・・・女にしかできぬことなのでしょうかと問いたい左京の局だった。
左京の局は思い詰めた。
左京の局の悲願は「お家再興」である。
それは・・・十郎左衛門の悲願に他ならなかった。
「私が・・・殿様に・・・お伝えできるのは・・・寝屋の中だけ・・・」
左京の局はまだ・・・この世の仕組みというものを充分に理解していなかったのである。
左京の局は褥を務める夜・・・あふれる気持ちを抑えかねた。
「いかがした・・・」と家宣が問いかける。
「お殿様・・・お願いがございます・・・」
しかし・・・家宣は気配を察し・・・左京の局の口を掌で塞ぐ。
「それはならぬ・・・」
左京の局は言葉を飲み込んだ。
寝ずの番を務める正室付御年寄の岩倉は耳を欹てていた・・・。
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