永禄五年、松平元康・織田信長同盟す(菜々緒)
寛永元年(1624年)、松下常慶(安綱)は六十七歳で死んだと言われている。
逆算すると永禄元年(1558年)生れであり・・・井伊直親が暗殺される永禄五年(1563年)十二月には数えで五歳である。
念のため・・・。
もちろん・・・永禄年間の遠江のあれやこれやは謎に包まれているので時空を越えたいろいろなことが起きうるわけである。
石川数正は天文二年(1533年)生れで永禄五年には三十路であるが・・・天文十八年(1549年)に松平元康が今川家の人質になってから近侍しているために・・・十年以上、駿府ににいて・・・夫人となった瀬名たちの事情にも通じていたわけである。
永禄五年(1562年)二月、元康が三河国上ノ郷城を攻め、鵜殿長照を討ち取り、長照の子である氏長、氏次兄弟を捕虜とすると元康妻子との人質交換の使者として数正が選ばれたのはそのような経緯がある。
元康の物語ではないので・・・織田信長との清州同盟が描かれないのはいいとして・・・その結果、織田方だった久松俊勝に嫁いでいた元康の実母・於大の方が松平家の奥の事に影響力を振るうようになったことは描いた方が良かった気がする。
今川系の嫁と・・・織田系の姑の軋轢が・・・瀬名母子の別居生活の理由だからである。
正室と嫡男を自害させるという「徳川家康」の暗い影の発端なのである。
戦塵渦巻く三河遠江国境を越えて次郎法師が右往左往するのはかなり笑えるとしても。
愛する男の死後・・・井伊谷のわがまま姫がどのように変貌するのか・・・不気味である。
で、『おんな城主 直虎・第11回』(NHK総合20170319PM8~)脚本・森下佳子、演出・渡辺一貴を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。元康が碁盤を戦略地図に見立てて支配の構想を練るというのはなかなかに鬼気迫りますな。次郎法師が岡崎城外の惣持尼寺の門をたたき「私の愛した人が殺されちゃうの・・・瀬名・・・ここをあけろ」というのも同様にホラーと考えればそれなりに笑えるのでございますよね。駿河国駿府城から遠江国龍譚寺、そして三河国岡崎城へと・・・次郎法師が三国を突破していく冒険活劇にすればかなりワクワクいたしますけどねえ。なにしろ・・・桶狭間の合戦直後の・・・ここは戦国時代真っ只中なのでございますから。偽物元康による奇想天外な謀略はなかなかにドラマチックですが・・・そこまで絵空事をするなら・・・もう少し次郎法師がくのいちでもよかったような気がします。出番は多いのですが・・・次郎法師は凄いというよりもやることなすこと裏目に出てるというところが・・・「白夜行」のヒロインと同じじゃないかとも思う今日この頃です。まあ・・・どうしても戦国三角関係ラブロマンスを描きたいなら・・・しょうがないなあ・・・とため息をつくしかないのでございます。
永禄五年(1562年)正月、松平元康は伯父・水野信元の仲介で織田信長と同盟する。二月、松平元康は実母の夫・久松俊勝と共に三河国上ノ郷城を攻め、鵜殿長照を戦死させ、長照の子・氏長・氏次兄弟は元康の捕虜とする。三月、石川数正が氏長・氏次兄弟と元康の正室・瀬名姫と嫡男・竹千代そして長女・亀姫の人質交換に成功。娘婿の離反の責を問われ、関口親永は正室とともに自害。瀬名姫母子は岡崎城外の惣持尼寺に隠遁。元康の異父弟・松平康元が上ノ郷城主となる。元康の叔父・水野忠重が鷲塚城主となる。義理の叔父である酒井忠次が元康の家老となる。吉良義昭の兄・義安が元康に臣従。美濃国大御堂城主の竹中重元が死去し、重治が相続。この頃、もしくは十二月に今川氏真に謀反を疑われた井伊直親は弁明のために駿府に召喚される。一説によれば家老・小野政次が疑いが晴れたと伝えたために召喚に応じたとされる。直親はこの道中、氏真の命令に従った掛川城主・朝比奈泰朝の軍勢に包囲され討死した。
今川氏より松平元康が独立し、三河国内の今川勢力を駆逐し始めた反乱は遠江国の国人領主たちにも波及していた。
三河国の今川勢は吉田城の小原鎮実を残すのみである。今川家当主の氏真は臣下の離反を抑えるために画策し・・・遠江国内には疑心暗鬼が横行する。
桶狭間の合戦で総領家の井伊直盛を失った井伊家でも求心力が低下し、直盛の遺言により家老となった分家の中野家と直盛の養子・直親の妻の里である奥山家の間に確執が生じている。
義元の元で緩やかに進行していた井伊家の分断が氏真によって強引に推進され・・・結果として今川家の遠江支配は崩壊していくのである。
元康の放った伊賀の忍びたちは遠江国をゆっくりと蝕み始めていた。
曳馬城の飯尾連竜、二俣城の松井宗恒、犬居城の天野景泰らの動静は定かではない。
氏真は二俣城に鵜殿長照の遺児である氏長を送り込んだ。井伊谷の西方の奥山は天野景貫に与えられていたが・・・東の天野本家と井伊を挟撃する姿勢を見せる。曳馬城の飯尾連竜の正室・お田鶴の方は長照の妹とされるが・・・その素性には諸説がある。義元の養女とされた関口親永の妻が井伊直平の娘であったように・・・永禄期の遠江国は謎に包まれているのである。
瀬名とお田鶴の方は姉妹だったという説もあり・・・そうなればお田鶴の方もまた直平の孫ということになる。
戦国時代には同族相討つ悲劇は珍しくないが・・・義元の戦略を踏襲した氏真の国人領主の分断策は完全に裏目に出る。
家臣に家臣を討たせる戦略により・・・遠江国には今川家の臣下がいなくなってしまうのである。
元康は忍びを使い・・・箍の緩んだ小領主たちに餌を撒いていくのである。
遠江国頭陀寺城主の松下氏は秋葉権現の修験者しのびである。
当主の松下嘉兵衛之綱の妻は松下連昌の娘である。
之綱の父・長則は槍術の達人だったと言われる。
松下連昌と松下長則はどちらが本家でどちらが分家か定かでない同族なのである。
松下家には早くから織田家の手が入っていた。
織田家の足軽の子息である日吉丸が奉公に入っていたのは偶然ではないのである。
修験者しのびとして松下連昌の子・常慶安綱が頭角を現すのは間もなくのことであった。
信長と同盟を結んだ元康は・・・伊賀の忍び・服部家と結び・・・忍びの組織化を進めていた。
織田家から松下家を引き継ぎ・・・元康は遠江国の忍び組織を拡充する。
忍びたちは・・・芸を売りにし・・・各地を放浪するものもいるが・・・土着して・・・草となるものもいる。
松下家は双方の色合いを持った忍びの一族だった。
遠江には他に秦氏の出自を持つ勝間田の一族がある。
秦氏の忍びは聖徳太子の時代にはすでに発生している。
伊賀の服部家もまた・・・その末裔なのである。
勝間田の一族からは武田信玄の配下となった小幡虎盛や・・・井伊直親を信濃国伊那郡松源寺に落ちのびさせた今村藤七郎正実が出る。
本来・・・井伊氏は天皇の忍びの一族である。
井伊介として遠江国の忍びを総べていたものが・・・今は国人領主として・・・忍び属性を薄れさせているのである。
松下の忍びも・・・勝間田の忍びも・・・かってはその支配下にあったのである。
二俣城の松井一族も・・・松下の井伊の名を残す。
曳馬城の飯尾一族も・・・井伊の緒なのである。
やがて・・・譜代ではない井伊直政が・・・徳川四天王の一人として名を挙げるのは・・・遠江から信濃、甲斐、駿河に広がる井伊介ネットワークを再構築したからに他ならない。
くのいち次郎法師の物語は・・・その基礎を築く話なのである。
氏真に欺かれ・・・命を落す直親は・・・その捨て駒に過ぎないのだった。
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