永禄三年、井伊信濃守直盛死す(春風亭昇太)
ドラマでは多くは語られないが井伊直盛はどちらかといえば猛将であったと思われる。
今川氏の尾張・三河攻略戦では太原雪斎に最前線の安祥城の守備をまかされているし、桶狭間の合戦では今川義元に先鋒を命じられている。
直盛は死の直前には井伊谷を中心に浜名湖岸東北部に広がる一帯の国人領主の党首的地位にあったと思われる。
義元の討ち死にの前後に自刃したとされる直盛だが・・・義元の死後ならば殉死の可能性もある。
自刃後、奥山孫一郎が首を持ち帰ったという伝承もあるが・・・信長が首実検をした中に井伊直盛の首もあったという伝承もある。
織田家から首が井伊家に返却され・・・それを受け取ったのが奥山孫一郎だったとも考えられる。
井伊家の菩提寺にある桶狭間の合戦で死んだ十六将には・・・直盛の勢力の一端が窺われる。
まず・・・直盛の家老の一族である小野玄蕃朝直や、小野源五の名がある。
続いて井伊分家の奥山城主・奥山六郎次郎朝宗、奥山親秀、奥山彦市郎、奥山彦五郎、奥山左近などの一族が戦死している。
さらに井伊谷東南の上野砦を領する上野惣右衛門、上野源右衛門、上野彦五郎などの上野一族。
その周辺の気賀領の気賀庄右衛門、多久郷右衛門、三河牧野氏の流れである牧野市右衛門などがあり、その他に御厨又兵衛、市村信慶、袴田甚八、中井宗兵衛、岩井庄右衛門などもある。
十六人を越えているのは資料によって些少の変動があるからである。
直盛は一族郎党を合わせて三百~五百の兵を率いて出陣しほぼ全滅していると推測されるのである。
兵の半数以上は農民であり・・・周辺は多くの男手を失ったことになる。
今川家にも痛い敗北であったが・・・井伊家もまた織田信長に痛恨の一撃をくらったのだ。
井伊家の凋落の始りである。それは遠江国の動乱の始りでもあった。戦場が尾張・三河から三河・遠江に遷移したのである。
で、『おんな城主 直虎・第9回』(NHK総合20170305PM8~)脚本・森下佳子、演出・福井充広を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は諸事情により感想待ちですが・・・織田信長のキャスティング発表にも関わらず・・・桶狭間に信長の姿はなく・・・キッドのテンションはかなりアレでしたが・・・あくまでマイペースでお願いします。女城主だったとされる伝説の女主人公のドラマですが・・・戦の最前線で戦った姫武将ではなかったのだから・・・想定内と言えばそれまでですが・・・どうせ実在が曖昧なのだから・・・龍譚寺の僧兵を率いる尼武将でも構わないのに・・・と思わないでもありません。土曜日には赤穂浪士の内縁の妻が月光院だったという奇想天外時代劇をやっているわけでございますからねえ。素直に見れば・・・夫の死の衝撃で涙も出なかった直盛の妻が養子夫婦に子が出来たことで落涙し・・・次郎法師も物影で安堵するという展開ですが・・・養子夫婦が空気を読まない感じで喜びを示し・・・未亡人も苦笑い・・・もはや次郎法師も初恋の人が妻を懐妊させたことで引導渡された感じのブラックな演出だったとも思われます。このドラマは戦場よりも凄惨な・・・武家の暗黒面をこれでもかと描いていくのではないか・・・という予感に震える今日この頃です。
永禄三年(1560年)五月十日、井伊直盛は井伊谷を出陣。十二日、今川義元が駿府から出陣。十七日、義元は尾張・三河国境の沓掛城に入城する。十八日、織田信長による兵糧攻めを受ける尾張国大高城の鵜殿長照の元へ松平元康が兵糧搬入作戦を成功させる。十九日、大高城に対する織田方の丸根砦を元康率いる三河衆が鷲津砦を朝比奈泰朝と井伊直盛の遠江衆が陥落させる。続いて今川勢は岡部元信が守る鳴海城を包囲する善照寺砦、丹下砦、中島砦への攻撃を開始。信長は幸若舞「敦盛」を舞って出陣。丹下砦から善照寺砦を経て中島砦へ入り・・・桶狭間へと進出する。沓掛城を出て進軍中の義元本隊は丸根砦と鷲津砦の陥落の報告を受け桶狭間山麓で戦勝祝いを行う。雨上がりの桶狭間に信長の奇襲部隊二千が現れ、義元本隊五千と激突する。混乱した今川勢は戦力を分断され、義元本陣は包囲殲滅される。義元は毛利良勝の指を食いちぎりながら討ち死にした。乱戦の中、今川勢は首級三千を織田勢に与えた。関口越中守氏経、関口刑部少輔氏縁、二俣城主・松井五郎八郎宗信、川入城主・由比美作守正信、長澤城主・松平上野介政忠、篠塚城主・西郷内蔵介俊員、蒲原城主・蒲原宮内少輔氏徳、前備侍大将・藤枝伊賀守氏秋、先陣大将・朝比奈主計頭秀詮、左備侍大将・岡部甲斐守長定、後軍旗奉行・葛山播磨守長嘉、井伊谷城主・井伊信濃守直盛などが尾張国清州城に首を晒す。遠江衆、駿河衆は敗走して戦線を離脱。大高城を脱出した元康は空き城となった岡崎城に入城。六月、鳴海城で徹底抗戦を続ける岡部元信は義元の首級を交換条件に退城。撤退中に刈谷城主の水野信近を成敗する。この頃、井伊直親の室である奥山ひよが懐妊。永禄三年(1561年)十二月、一説によればひよの父・奥山因幡守朝利が小野但馬守政次に暗殺される。
鷲津砦に突撃した本多忠勝は織田家の武将・山崎多十郎に組み打ちを挑み逆に組み伏せられてしまった。
「儂に挑むなど十年早いわ・・・小童」
「鍋之助・・・」
死を覚悟した忠勝に幼名を叫ぶ養父・本多忠真の声が響く。
忠真は槍を繰り出し甥の窮地を救った。
「叔父上・・・かたじけない」
「油断大敵じゃ・・・しかし・・・戦は大勝利じゃな」
すでに・・・砦は陥落していた。
戦の趨勢を見極めた掛川城主・朝比奈泰朝は先陣の大将である井伊直盛に進言する。
「砦の大将・織田玄蕃允の首級を携えて・・・太守様に戦勝を報告申し上げては如何でござろう」
「では・・・ここはお手前にまかせて・・・一端・・・中軍に戻るといたそう」
「丸根の砦を攻めた三河の小童に遅れをとるわけには参りませぬからな」
丸根砦も陥落し・・・元康率いる三河衆の主力は大高城に向っていた。
井伊直盛は手勢を引き連れ・・・鳴海城に向う今川義元の中軍に合流するべく戦場での移動を開始する。
これが・・・朝比奈泰朝や松平元康と・・・井伊直盛の生死を分けることになる。
戦果を持って行軍する井伊谷衆を織田の忍びが追尾していく。
「あれは・・・遠江の軍勢だがや・・・」
「どこに向っておるのかや」
「兜首を持って・・・本陣に戦勝報告をするのだがや」
「追えば・・・今川の大将にたどり着くと願ってちょうでえ・・・戦も首尾良き頃合いだもんで」
今川方の雑兵に扮した藤吉郎と小六は囁きを交わす。
砦を餌に・・・今川本軍を釣りだす奇襲作戦は・・・勝負を分ける仕上げの段階に入っていた。
戦死した井伊谷衆に変装した二人に・・・気付くものはいなかった。
戦勝により士気があがっているとはいえ・・・砦を攻めた疲労が井伊谷衆に色濃い。
前方には暗雲が立ち込めている。
「一雨・・・来る按配ずら」
誰かが呟いた。
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