涙色の桜が花開き桜色の涙が滴り落ちる時(芳根京子)
変態度の基準で言えば「あまちゃん」に迫る勢いの傑作朝ドラマと言える「べっぴんさん」である。
口が重すぎて・・・よくわからないヒロインがすでに充分に変態なのである。
その娘が・・・口が軽すぎて・・・わかりすぎるキャラクターなのである。
そして・・・二人がそろって「お嬢様」であるというお茶の間の庶民を圧倒する変態度だ。
さらに言うならば・・・ヒロインは「お嬢様」でありながら・・・「天才」なのである。
ずば抜けた「商才」と「統率力」を持ち合わせた「奇跡の人」なのである。
「なんか・・・なんかな」という魔法の呪文を唱えれば・・・戦中戦後のドサクサもなんなく乗り越える魔女なのである。
そして・・・わかるやつだけにわかればいいという・・・・今回のヒロインのわらいが止まらないほどのうれしさとなみだがとまらないほどのよろこび・・・。
しあわせになるためには・・・こういう性格でなければいけないという・・・恐ろしい啓示がここにあります。
谷間を乗り越えてレビューしないわけにはいかないのだった。
で、『べっぴんさん・第126回』(NHK総合20160303AM8~)脚本・渡辺千穂、演出・梛川善郎を見た。夏ドラマに「コードブルー3」がエントリーされ心騒ぐわけである。春ドラマもそれなりにそそるラインナップに仕上がりそうだ・・・休眠のタイミングがいろいろと難しいのである。続けることの意義もあるしな。前回、休眠中に結構、とりこぼした名作もあるわけである。それはそれとして・・・「あまちゃん」ほどには語らなかったけれど・・・明日が楽しみなことでは・・・「ぺっぴんさん」も「あまちゃん」クラスだったのだ。
愛の形にはさまざまなものがある。親子の愛の形も様々だ・・・。
基本的に異性の親子間にはマザコンやファザコンなどの淫靡なモードがストレートに存在する。子供の立場から言えば・・・両親がいれば・・・そのどちらも体験することは容易であるが・・・親の立場から言えば少子化の世では・・・必ずしも母親が娘を持てるとは限らないし、父親が息子を持てるとは限らない。
同性同志の親子には・・・まさに自分自身の再生というコクがあるわけである。
坂東すみれ(芳根京子)には口の達者な姉のゆり(蓮佛美沙子)がいる。
すみれは勝気な姉に比べると大人しい。
初恋の人である野上潔(高良健吾)もゆりに奪われてしまうすみれ。
しかし・・・お嬢様であるために・・・紀夫(永山絢斗)に慕われて欠損を補うわけである。
やがて生れて来たさくら(乾沙蘭→河上咲桜→粟野咲莉→井頭愛海)は幼少期には「靴が小さくなったこと」を言い出せない口の重さも見せるが「不味いものは不味い」と大胆さを発揮し始める。
思春期になってすみれの「はっきりしない態度」に苛立ったさくらは「お手本」を求めて家出して伯母のゆりに倣うことになる。
すみれは・・・愛娘もゆりに奪われてしまうのである。
五月(久保田紗友)という恵まれない娘の登場によって・・・持って生れた恩恵の大きさに気がついたさくらは・・・ゆり・すみれの両面性を兼ね備えた戦後民主主義のお嬢様として開花の時を迎えようとしていた。
すみれが三つ葉のクローバーを従えて築きあげた「キアリス」帝国の後継者として・・・さくらは帝王教育の成果を見せなければならないのである。
女王すみれに対して王女さくらは申し出る。
「今度の商品審議会挑戦させて下さい」
「そう・・・」
女王様は・・・傀儡の国王をたてる。
「楽しみにしてるぞ」
紀夫は立場を心得ているのだった。
「ありがとう・・・」
王家でのセレモニー終了である。
虹をかけるのは夫でも父でもなく・・・妻と娘なのだ。
社長室の片隅でこれ見よがしに虹色を塗りたくるすみれ・・・。
頬には偽りの涙として水色がはねている。
流行色を決めるのは繊維業界だが・・・その中で何が売れ筋かを見極めるのは服飾業界なのである。
すみれは神の与えた直感で・・・それを見極めるのである。
「すみれさん・・・何してはるんですか」と中西(森優作)・・・。
「神の啓示を受けとんのや」と紀夫・・・。
そこに・・・巫女であるすみれのイメージする「涙色」を求めてさくらがピンクからブルーへと衣装をチェンジしながら「色見本」を持って登場する。
「涙色にはどの色が近いのでしょうか」
「あの時はなみだ色って言ったけど・・・デザインが変わったらぴったりな色も変わってくるのよね・・・なんか・・・なんかな」
すみれの呪文にかけられて・・・「思い詰める世界」を彷徨うすみれは・・・困った時の伯母夫婦を訪ねる。
おりしも・・・坂東営業部からオライオンまで四十年間を努めげた長谷川(木内義一)が退職するお祝いのセレモニーが開かれている野上家である。
長谷川は結婚して退職したゆりに・・・職場復帰を推奨するのだった。
「そんな・・・もう二十年も前の話です」
さくらは・・・「家庭」に入ったゆりに甘えた時期もあったが・・・今は「仕事」を続けるすみれの「凄み」を感じている。
すみれの座を継ぐためには・・・粘り続ける他に道はないのである。
すみれの娘であるさくらには・・・その才能が潜んでいるのだった。
さくらは・・・二十四時間・・・粘り続けるのである。
さくらは・・・自分のデザインが・・・まだ・・・その域に達していないことを直感している。
枠に納まることが苦手だった小澤龍一(森永悠希)は今では多国籍料理を得意とする料理人である。
龍一の振る舞う得体の知れない料理は庶民の未知の世界への憧れをかきたてるのだった。
「なんだかわからない・・・見たこともないから・・・面白い・・・」
さくらは・・・ヒントを掴むのだった。
昼夜も忘れ・・・寝食も忘れ・・・没頭するさくらに・・・すみれは自分自身の複製を見出す。
後は・・・魂を込めるだけまでに仕上がった・・・すみれのべっぴんさんであるさくら。
「さくら・・・お父さんが柿を買ってきてくれたよお」
「ありがとう」
「さくら・・・覚えてる?・・・小さい頃・・・お手玉をね・・・柿にしたり・・・リンゴにしたり・・・おにぎりにしたりして・・・遊んでたのよお」
「・・・」
「私がおにぎりを握っていると・・・お手玉をニギニギしてね・・・さくらを見ていて・・・子供の想像力ってすごいなあって・・・思ったのよお」
「!」
「どうしたのお」
「ちょっと出て行って・・・今・・・閃いたの」
「・・・」
さくらに部屋を追い出されて笑いが止まらなくなるすみれ・・・。
してやったり・・・ついにさくらがすみれになったのである。
さくらとすみれは一心同体の存在になったのだ。
「うふふ」
「どうした・・・嬉しそうやな」と紀夫。
「うふふ」
「柿がそんなに美味しいのか」
「ふははははは」
商品審議会の日・・・。
「制作意図を説明して下さい」とデザイン・チーフの君枝(土村芳)である。
良子(百田夏菜子)も明美(百田夏菜子)もすでにさくらの作品から立ち上るすみれの気配にときめいている。
「子どもの頃・・・私はよくお手玉で遊んでいました・・・お手玉を柿に見立てたり・・・リンゴやおにぎりに見立てたりして遊んでいたそうです。子どもの頃の事を考えると大事なのはワクワクと・・・想像力を膨らます事のできる余白なのかなと思いました・・・もしかしたら・・・それがキアリスの基本やないのかなと思いました・・・白と青の瑞々しい世界に・・・リスがいて果物があって・・・果物はリスの好きな果物なのか・・・好きな順番に並んでいるのか・・・リスが見てくれている子にくれようとしているのか。子どもたちが想像しただけで・・・楽しくなるような・・・着たくなるようなワンピースになればいいなと思うて作りました」
すみれは・・・さくらの「心」がわかりすぎて泣けてくるのだった。
すみれの娘のさくらが・・・すみれになったことを感知する三つ葉のクローバーたち。
「商品化に向けて・・・検討しましょう」
「ありがとうございます」
こうして・・・世界は・・・穏やかに・・・継承されていくのだった。
それが人間の幸福というものなのである。
他人を妬み嫉み踊らされて大騒ぎしたり・・・変な伝統を無理矢理押し付けようとする人々には無縁の・・・豊かで実りある世界がそこにあるのだった。
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