永禄九年、北条相模守氏康隠居となる(柴咲コウ)
ドラマはあくまでフィクションである。
大河ドラマの背景には・・・史実という原作があるわけだが・・・正史はもとより伝承もすべてフィクションと考えることができる。
事実とはことなる・・・後世の「つくりごと」にすぎない。
しかし・・・「つくりごと」の存在の共有は・・・「文化」というものを促すわけである。
自称公共放送の国会における答弁を覗っていると・・・「国」は今も「文化」によって「国」という「つくりごと」を維持することを心がけていることがよくわかる。
「地方の活性化」による「国家」の発展や・・・共通の「歴史認識」による「国民」の育成は・・・あらゆる格差が内乱に繋がることを抑制するための安全装置だからである。
武力の行使を認めないという隷属的なコンプライアンスを維持するために・・・「暴力」が絶対的に悪であるこの国では・・・いつしか・・・歴史的な人物が・・・多くの場合・・・大量殺人の首謀者であることに頭を悩ますようになっている。
そのために・・・大河ドラマの主人公も・・・戦国時代に生きているにもかかわらず「戦はきらいだ」と主張しなければならないらしい。
実在したのかどうかもわからない・・・井伊次郎法師直虎の都合がいいのは・・・誰も殺していないかもしれない人物だということに尽きるのだろう。
系図的には直虎の伯父である井伊直親が暗殺されたと思われる永禄五年から・・・今川義元の母である寿桂尼が死去する永禄十一年まで・・・井伊一族と今川家の関係はいろいろと謎に包まれている。
そもそも・・・この時期には・・・井伊次郎は二人いたのかもしれないのである。
一人はおそらく・・・今川義元の側室となった井伊直平の娘が産んだ関口氏系の次郎。
そして直平の孫・直盛の娘である次郎法師である。
遠江国の守護である今川氏真が派遣した関口次郎と・・・井伊家の相続者として出家のまま地頭を称した次郎法師と。
相続争いというものは普遍的な出来事である。
家督継承のために今川義元も兄弟で殺し合ったし・・・織田信長も同様である。
井伊谷城でも・・・それは起きていたに違いない。
分家の分家でありながら・・・地縁・血縁で勢力を拡大する奥山家と・・・本家の家老家であり、今川の目付でもある小野家・・・それぞれが・・・総領となる井伊直政の争奪戦を繰り広げているわけである。
だが・・・そんな茶碗の中の戦争は・・・やがてくる大戦の前に・・・飲み込まれてしまうのである。
で、『おんな城主 直虎・第15回』(NHK総合20170416PM8~)脚本・森下佳子、演出・福井充広を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。地縁・血縁の描き方と中央政府と地方自治体の軋轢・・・そして主従関係の描写・・・これらがかなり入り混じっているので・・・ある意味・・・わかりにくい感じになっているのかなあ・・・と考えています。通説では・・・荘園制度が終焉するのは太閤検地によるものということになりますので・・・それまでは・・・領主と領民の間にはかなりゆるやかな支配関係があると考えるのが普通でございますよね。基本的に農民たちも武装勢力の一つの単位であって・・・その証拠に三河国では一向一揆の鎮圧に家康が一年をかけているわけです。あくまでドラマですので・・・桶狭間の敗戦によって・・・村人が減少したために・・・農業に専念している感じなのだとも解釈できないこともないのですが・・・その割には村人の男たちは・・・かなり戦力になる感じの年頃です。脚本家とお茶の間の間の幻想の兵農分離が暗黙の了解をしているというところでしょうか。下剋上によってもっとも身分格差の少ないのが戦国時代と考えるキッドにとって少し歯がゆい気もいたします。黒沢明監督の「七人の侍」によって描かれてしまった妄想の「腹の減った侍を雇う百姓」の存在が・・・大きく影響しているに違いない。農閑期に戦をする・・・つまり・・・地域住民の全員が武力を持っているのが普通であり・・・兵農分離により職業的軍人が育成され・・・士農工商の土台が作られていく過渡期・・・せっかく・・・コップの中の戦争を描くなら・・・そういう視点も欲しかった気がする今日この頃でございます。
伝承・・・遠江国小野に光月坊主という悪僧あり、龍譚寺の和尚は法力によって光月を懲らしめ、光月は神となって村人のために尽くせり・・・。伝承・・・遠江国都田(川名)に大淵ありて龍宮に通じると伝わる。大淵より龍宮小僧が現れ村人の困窮を救うとされる。永禄九年(1566年)、上野国厩橋城の上杉家直臣・北条高広が北条方に臣従する。北条氏康は隠居し、氏政が家督を継承する。永禄十年(1567年)、今川氏真の妹を正室とする武田義信は自刃。北条氏政は上総国三船山で里見氏と対戦し大敗を喫する。織田信長は美濃国の斎藤龍興を攻め、稲葉山城は落城。龍興は伊勢国に敗走する。信長は稲葉山城を岐阜城に改名。天下布武を宣言する。正親町天皇は信長を「古今無双の名将」と褒めたとされる。越前国の朝倉義景は加賀国一向一揆勢との合戦に勝利し、足利義秋を一乗谷の安養寺に迎える。永禄十一年(1568年)三月、今川義元の母・寿桂尼が死去。今川家を支えた最後の支柱が折れ・・・西の徳川、北の武田は虎視耽々と駿河国・遠江国の今川領土に狙いを定めていた・・・。
井伊谷城に小野但馬守が登城する。
城と言っても米蔵や武具蔵と領主館があるに過ぎない。
防衛拠点としては裏手の龍譚寺の方が優れている。
領主館も古びている。
合議のために国衆たちが集まる広間で・・・直虎は但馬守と面会した。
「今川から何か申してまいったか・・・」
「虎松様の後見人の件でございます」
「後見人が女の私では承知できないということか」
「いえ・・・直平様の姫が嫁がれた瀬名家に男子がおられまする」
「瀬名様の他にか・・・」
「瀬名次郎様でございます」
「とんと聞かぬな」
「瀬名次郎様に井伊次郎を名乗らせ・・・虎松様元服までのつなぎとせよという・・・氏真様の思し召し」
「妾がよいというても・・・亡き直親殿の後家が・・・へそをまげよう」
「・・・しかし・・・瀬名次郎様には関口氏経様という後見人も決まっておりまする」
「瀬名家も関口家も・・・氏真様に怨みはないのかのう」
「・・・」
「氏真様はすこし・・・気がふれておいでなのではないか」
「しかし・・・何と申しても遠江国の守護であらせられまする」
「但馬守よ・・・汝れの好みの・・・唐風ならば・・・いや・・・義元公が御存命ならば・・・それも好き道かもしれぬが・・・」
「律や法度は・・・まつりごとの要でございますぞ」
「いつまで・・・法度を定めた今川の世が続くかのう・・・」
「なんと・・・」
「龍譚寺の忍び坊主たちの集めし話によれば・・・武田家は今川家と手切れをする気配がある」
「え・・・まさか・・・そのようなことが」
「武田家では・・・総領息子の義信殿が腹を切らされたという噂じゃ」
「・・・」
「なにしろ・・・義信殿の正室は・・・今川の姫君・・・」
「それが・・・手切れの前触れと・・・言われるのか」
「武田と徳川の間者が・・・国境を越えて往来しておる・・・」
「遠江国は信濃国と三河国の通り道でございますれば・・・」
「もし・・・武田と徳川が密約をかわしておったらなんとする」
「しかし・・・武田と今川・・・そして北条には三国の同盟がございまする」
「北条家は義元公の例にならって生前贈与をしたようだが・・・跡目を継いだ氏政公は大敗したそうじゃ・・・」
「・・・お耳が早い」
「代変わりに負け戦となれば・・・北条も・・・今川にかまってはいられまい」
「・・・そこで武田が手のひらを返すと・・・」
「もしも・・・三国の契りが破れるようなことあれば・・・井伊の家も身のふりかたを考えねばならぬ・・・」
「今川を裏切ると仰せなのですか・・・聞き捨てできませぬぞ」
「考えてもみよ・・・徳川が攻めてくるとなれば・・・井伊谷は矢面ぞ・・・」
次郎法師と小野但馬守は・・・暗い目でみつめあった。
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