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2017年4月30日 (日)

永禄十年、織田信長天下布武の朱印を用いる(柴咲コウ)

永禄五年(1563年)に井伊直親が朝比奈泰朝に討たれて・・・前年に生れた虎松が残される。

虎松が後に徳川四天王の一人、井伊直政として歴史に名を残すために・・・井伊家というものが歴史的に研究される対象となるわけである。

研究者たちは・・・残された史実(発給文書や墓誌)や個人的な日記、口伝の覚書などを元に・・・井伊家の実像にせまるわけだが・・・それらはある程度・・・その時代に都合よくまとめられたものにすぎない。

そもそも・・・「過去」という膨大な情報の再構築は不可能なものなのである。

悪魔とされるサタンは・・・神の敵であるが・・・敵である以上・・・サタンもまた古き神なのである。

井伊家の語る歴史において・・・小野家が敵役となるのは・・・自分たちが正当であることを主張しているにすぎない。

歴史は勝者によってつくられることが大前提なのである。

そこで生れた井伊次郎家を継ぐ女城主・直虎の伝承から・・・この大河ドラマは作られている。

当然・・・本当の本家である井伊太郎家があったはずだが・・・それは歴史の闇に葬られているわけである。

比較的新しい井伊分家である中野家と・・・分家の分家であるが血縁によって力を保持する奥山家によってかろうじて支えられる井伊次郎家の娘・次郎法師と・・・次郎法師の父・直盛の養子である井伊直親の忘れ形見・虎松との微妙な関係は・・・脚本家の妄想力をかきたてるわけである。

平安時代と呼ばれる承和七年(840年)に完成した「日本後紀」によれば延暦十八年(799年)に三河国に崑崙人らしき異人が漂着し綿の種子を日本に持ち込んだとされる。

この記述によって・・・三河国の人々は我こそが「元祖綿作り」を主張するわけである。

しかし・・・日本国の綿の生産力は乏しく・・・その後、五百年以上は半島や大陸からの輸入に頼る高級品であったという。

戦国時代になって・・・国内の綿花の栽培が本格的に開始されたというが・・・本格的な増産は豊臣政権の確立後であろうと推測される。

つまり・・・近畿地方がその生産拠点であっただろう。

そういうことは元祖的に・・・東海地方の人々にとって・・・あまり触れたくないことであると妄想できるのだった。

ついでに為政者にとって・・・農地の拡大は常に課題だった。奈良時代と呼ばれる養老七年(723年)には三世一身の法が発布されている。

墾田の奨励のために開墾者から三世代まで墾田私有を認めるというわけである。

孫の代までじゃモチベーションがあがらないというものもあり・・・やがて・・・日本中に私有地が拡大していくのだった。

三年間の年貢免除で・・・開拓農民が本当に喜んだのかどうかは定かではない。

そもそも・・・この時代にはまだ士農工商という身分制度はないのである。

で、『おんな城主  直虎・第16回』(NHK総合20170423PM8~)脚本・森下佳子、演出・藤並英樹を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。画伯お加減いかがでしょうか・・・。時系列的には・・・永禄十一年(1568年)三月、今川義元の母・寿桂尼が死去して・・・八月に今川家臣の関口氏経が井伊直虎に書状で徳政令を促している。さらに十一月に井伊次郎と氏経が連名で徳政令に署名したということになっていますが・・・十二月には武田信玄が駿河侵攻を開始する。その直前の・・・遠江国は・・・戦とは無縁の牧歌的な世界だった・・・という趣向なのでございますねえ。松平家康による吉田城攻略が永禄八年(1565年)で織田信長による稲葉山城攻略が永禄十年(1567年)なので・・・茶屋の噂話によれば・・・ドラマの中ではその間の時空間が進行しているようでございます。荒れ地を開拓したら私有地とするとか・・・綿花栽培による産業振興とか・・・いろいろな時代が混交しているような気がしないでもないですが・・・局所的にはあってもおかしくない話なので・・・絵空事としては成立しておりますよね。人身売買を肯定的にとらえるとか毒も効かせていて脚本家の矜持も感じますな。そのうち・・・「米がなければ饅頭を食えばいいではないか」と主人公が言い出すのではないかと胸がときめく今日この頃でございます。週一更新にしてから・・・どんどん・・・更新が遅れて行くのも・・・人間性の証明と言えましょう。うわあ・・・ついに日曜日だ・・・です。

Naotora016 弘治三年(1557年)、第百五代後奈良天皇が崩御。永禄二年(1559年)、本願寺顕如が朝廷に献金し、綸旨によって門跡となる。永禄三年(1560年)、毛利元就が従四位下陸奥守に叙任される。元就の献金で第百六代正親町天皇は即位の礼を挙げた。永禄七年(1564年)、松平家康が三河国吉田城攻略戦を開始。永禄八年(1565年)、家康家臣・酒井忠次が吉田城主となる。永禄十年(1567年)五月、家康の嫡男・信康と織田信長の娘・徳姫の婚姻が成立する。信康の母親である築山殿を井伊直平の娘が産んだという説にたてば井伊家と織田家は親戚関係になったわけである。しかし、これには言うまでもなく諸説あるのだった。徳川信康も次郎法師直虎も・・・井伊直平の曾孫であるという説があるだけである。永禄十一年(1568年)三月、今川義元の母・寿桂尼が死去。九月、信長は将軍家嫡流の足利義昭を奉戴し上洛戦を開始。十月、信長は正親町天皇の保護を大義に掲げ京を制圧する。義昭は室町幕府第十五代将軍となった。

三河国と遠江国の国境を越えて・・・林崎甚助と関口外記は井伊谷を目指していた。

三河国による今川方の相次ぐ敗戦で・・・国境では落武者狩りが横行している。

親類縁者を頼って戦火を逃れてくる農民にまぎれて城を失った領主一族も落ちのびてくるのだが・・・殺気だった武装農民たちは・・・これを見逃さず・・・密かに襲撃して・・・男は殺し、財を奪い、女子供は売り飛ばすのである。

家康に嫁いだ瀬名姫の父・・・関口親永が今川氏真によって処刑されると関口一族は駿河に残るもの・・・北条領に逃れるもの・・・武田信玄に密かに内通するものなど・・・様々に分かれて行く。

関口外記は瀬名姫付であったために・・・好むと好まざるとに関わらず家康の家臣となっていた。

駿河の領地は氏真が没収し、三河の関口領はすでに家康の裁量下に置かれている。

関口一族は領土を失ってしまったのである。

諸国を塚原卜伝と回遊した林崎甚助は今川氏真に剣術指南をしたこともあり・・・関口外記とは旧知の間柄である。

家康の密命を受けた関口外記が井伊谷に使者に向うことになり・・・徳川信康屋敷に滞在中の甚助が警護役を請けたのだった。

もちろん・・・目的は井伊谷衆の調略である。

一向は・・・外記の郎党と甚助の門弟を合わせて十人だった。

これだけの人数を揃えても・・・武装農民に襲撃されれば安穏とはしていられないのである

神社仏閣に一夜の宿を求めれば毒を盛られる可能性もある戦乱の世である。

しかし・・・長く諸国を武者修行する甚助には各地に顔が利くために・・・比較的安全に通行が出来るのだった。

遠江国の野武士が作った山賊の関を越えたところで百人ほどの一揆勢が一行を囲む。

「待て待て・・・我は林崎甚助じゃ・・・これは・・・我が門弟たち・・・うかつに手を出せば怪我をするぞ」

その声に応ずるものがあった。

「これは・・・林崎先生だったずらか」

「お・・・」

「村で先生に教えを受けたものずら・・・」

甚助は・・・農民たちにも・・・剣の手ほどきをすることがある。

「さようであったか」

「先生たちに手を出すわけにはいかねえずら・・・」

「それはありがたいな」

「いんや・・・先生とお弟子様たちに手を出せば・・・こっちに死人が出るに決まってるずらよ」

「まあ・・・なるべく殺生はせぬように手加減はするがのう」

甚助は微笑んだ。

「どうぞ・・・お通りくだせえ・・・なんなら・・・村でお休みなさってもかまわねえずら」

「いや・・・先を急ぐので・・・このまま行かせてもらうぞ・・・達者でな」

緊張していた関口外記はようやく肩の力を抜いた。

「さすがは・・・林崎殿・・・」

「なになに・・・たまたまのことでござるよ」

こうして・・・一行は無事に井伊谷に到着した。

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