永禄八年、武田信玄が嫡男義信を幽閉す(柴咲コウ)
うわあ・・・まだ永禄八年(1565年)なのかよ・・・。
永禄四年(1561年)生れとされる虎松(井伊直政)が数えで五歳だからそうなんだけどね。
数え年というのは生れた年を一歳と数える年齢のことである。
十二月三十一日に生れると翌日には数えで二歳になります。
満年齢だと一歳にもならないので・・・感覚に狂いが生じるひとつの要素です。
数え年だと誕生日に年をとるのではなくて・・・みんな正月に年をとるわけです。
さて・・・松平家康の家臣・酒井忠次が今川氏真の家臣・小原鎮実の守る三河国吉田城を開城させた年である。
だから、まだ徳川家康にはなっていないのだった。
武田信玄が嫡男・義信を幽閉するのは十月のこととされている。義信の傅役である飯富虎昌らが信玄暗殺を計画していたというのがその理由ということになる。
義信の正室となっている嶺松院の母は今川義元の正室で武田信玄の姉である定恵院である。
つまり従兄妹同士の婚姻となる。これによって武田義信と今川氏真は従兄弟であり義兄弟にもなっているのだった。
その義信が幽閉されるというのは・・・今川家を揺るがす大事件なのである。
一方・・・この年・・・織田信長の姪である龍勝院と信玄の四男である勝頼が婚姻したとされている。
今川家にとって・・・それもまた大事件であっただろう。
義信の幽閉とともに嶺松院は離縁されたという説もあるが定かではない。
とにかく・・・まだ・・・永禄八年だったんだな・・・。
で、『おんな城主 直虎・第18回』(NHK総合20170501PM8~)脚本・森下佳子、演出・藤並英樹を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。ついに次回が始ってしまう感じである。読者の皆様には申しわけないと思うのだが・・・画伯の描き下ろしもないし・・・記事作成者のモチベーションが・・・さて、数え年ついでに以前の記事にも書いた歴史ドラマ的な記述の問題点をもう一度。年号と西暦の関係についてである。西暦と年号の月日は必ずしも一致しない。たとえば三河国上ノ郷城主の鵜殿長照が討死したのは永禄五年二月四日(1562年3月8日)のことであるが・・・虎松こと井伊直政の父・井伊直親が討死するのは永禄五年十二月十四日(1563年1月8日)のことなのである。これを略すと長照は永禄五年(1562年)に死没し、直親は永禄五年(1563年)に死没したことになる。おわかりだろうか・・・正確な記述なのだが・・・人によっては書き間違いと誤解する可能性があるのではないかと・・・思うのだった。そもそも・・・当時は全国一律のカレンダーがあるわけではなく・・・地方それぞれに暦があったと言われる。同じ一月一日でも・・・それが確実に同じ日だったかどうかは・・・いろいろと断言しづらいことになる。当時の教養人が日記を書いていてその日付が歴史の一部になるわけだが・・・テレビの全国放送があるわけではないのである・・・各地の出来事は手紙や噂で伝わってくるわけである。それが本当はいつの出来事なのか・・・正確性には疑いが生じる。このように・・・戦国時代のあれやこれやは・・・もやもやの中に包まれているわけだが・・・あんまり・・・もやもやされてもなあ・・・と思うのだった。
天文十年(1541年)、甲斐武田家の第十八代当主・武田信虎は嫡男・晴信(武田信玄)によって駿河に追放される。
天文十九年、信玄の姉で今川義元の正室の定恵院が死去。
天文二十一年(1552年)に定恵院の娘である嶺松院が信玄の嫡男・武田義信の正室となる。永禄三年(1560年)、桶狭間の合戦で義元が討死。永禄八年(1565年)、信玄の家臣であり、義信の傅役だった飯富虎昌に信玄暗殺の密議をした謀反の疑いがかけられる。十月、虎昌は自害。義信は謀反に加担した疑いで甲府東光寺に幽閉される。この時、嶺松院は義信と離縁したと言われる。十一月、信玄の四男・諏訪勝頼と織田信長の姪・龍勝院の婚姻が成立されたとされる。織田家と今川家は交戦中であり、同盟国である武田家が織田家と婚姻関係を結ぶことは今川家にとって裏切り行為であったと言える。勝頼と龍勝院の婚姻は史実であるがその時期については伝承の域を出ない。少なくとも武田今川同盟の象徴である武田義信と嶺松院の婚姻関係の解除や義信自身の幽閉は・・・今川家に衝撃をもたらしたと推測できるのだった。
秋葉山は信濃国、遠江国の国境を結ぶ霊山である。
古くから火伏せの神が宿ると言われる。
秋葉大権現はその体現者である天狗であった。
その実態は山の民であり、修験者である古き忍びの一族である。
山の神聖な空気の中・・・神通力を求める修験の者たちは過酷な行の果てに万人に一人の低確率でもたらされる奇跡を信じているのだった。
戦国時代に名を残す忍者たちの何人かは・・・そうした修行を行ったものであったとされる。
猿のように樹間を飛ぶ猿飛の術を会得したとされる佐助、念力によって霧を呼ぶことの出来た才蔵などはそうした神通力を会得したものたちである。
しかし・・・多くのものは狩人として・・・あるいは杣人として・・・山間で暮らす山の民にすぎない。
過酷な山の暮らしが強靭な肉体を作り上げ・・・時に兵士として有用だったのである。
だが・・・山の民は・・・官の支配を嫌い・・・独立自尊の気概が強かった。
秋葉山の修験のものは散在する山の民たちのネットワークの要であり・・・潤滑油の役割を果たしている。
松下一族はそうした修験のものの家系であった。
秋葉の山の主を自称する松下蓮昌もその一人である。
蓮昌は・・・山の民や天龍川周辺の農民の子を預かり・・・見所ありとみれば忍びとして育成するのである。
十歳にもみたない常慶坊もその一人であった。
しかし・・・常慶坊は早熟で天才の片鱗を見せている。
蓮昌は・・・常慶坊の覚えの早さに驚愕するのだった。
一を聞いて十を知る・・・常慶坊は・・・そういう才能を持っていたのである。
知能だけでなく体力も抜群であった。
常慶坊は・・・すでに大人顔負けの体術を会得している。
蓮昌はひそかに・・・常慶坊を「もののけ」として惧れている。
秋葉山の社に・・・常慶坊が姿を見せたのは紅葉の季節だった。
「蓮昌さま・・・ただいま・・・もどりましてございます」
「よう・・・もどった・・・甲斐の様子はどうだった」
「府中は静かなものでございました」
「武田のお家の動きはいかがか」
「あれは・・・信玄公の色香の迷い・・・正室より・・・側室に気が動いたのでございます」
「色香の迷い・・・」
「嫡男殿は・・・寺にて大人しく謹慎しております」
「さようか・・・」
「信玄公は・・・諏訪勝頼に特別目をかけておいでです」
「では・・・今回の騒動は・・・色ごとか・・・」
「いいえ・・・信玄公は・・・数年のうちに・・・駿河に攻めよせましょう」
「なんと・・・そのわけは・・・」
「それが戦国の世というものではございませんか」
子供に諭されて・・・蓮昌は鼻白んだ。
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