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2017年6月12日 (月)

永禄九年、近藤康用が井伊谷領に侵入す(柴咲コウ)

遠江国の名の由来は浜名湖にある。

近江国の琵琶湖に対応するわけである。

東海道は浜名湖の南側、それに対して姫街道は北側である。

明応七年(1498年)の大地震により淡水湖だった浜名湖は汽水湖となった。

つまり・・・東海道は分断されたのである。

そのために・・・姫街道側が発展することになる。

永禄九年・・・三河国はほぼ松平家康の支配下に入ったが・・・遠江国、信濃国と接する奥三河の国衆はまだ今川支配体制に属していたものもあった。

三河国宇利城の近藤康用もその一人である。

ある意味では・・・井伊谷より最前線であり・・・今川家に謀反する疑いで言えば井伊家より濃厚なのである。

そんな近藤康用が・・・井伊家の目付(監視役)であるというのはおかしな話であるが・・・要するに疑心暗鬼の戦国時代においては相互監視体制が日常化していたのだと考えることもできる。

戦国時代を全国的な縄張り争いと考えれば・・・三河国、遠江国、信濃国に接する土地は当然・・・安穏と過ごせる土地ではなかったのである。

同時に今川家の子分として近藤家は同じ子分の井伊家と縄張り争いもするわけである。

近藤康用の子、秀用は徳川家康に出仕し紆余曲折の後に井伊谷藩主にまで出世する。

井伊谷に関して言えば・・・近藤家は井伊家に対して縄張り争いで勝利する家柄なのだった。

最も井伊谷藩は一万五千石だが井伊直政の近江国佐和山藩は十八万石である。(仮記事です)

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永禄九年、井伊直虎杣人を雇用する(柴咲コウ)

林業の従事者はかっては杣工(そまのたくみ)と称せられたという。

工は匠であり・・・要するに専門的な技術者である。

職人的な知識や技術をもって成立する山の民である。

木造建築を基本とするわが国の権力者にとって・・・材木を生み出す杣人たちは重要な集団なのである。

平地の人里に棲む人々にとって山奥に棲む杣人たちは異人の一種でもあり・・・ある意味では鬼人であった。

ルールを異にする集団は反目するのが常であるが・・・領域がことなるために摩擦も少ないのである。

平地の人々からみれば山の人々はアウトロー(法外)である。

時には山賊との区別は曖昧になる。

しかし・・・山人にも社会的な集団もあれば掟もあるのだった。

当然・・・信仰もある。

山の神に対する信仰心は農民が鎮守の森を信仰するように篤いのである。

日本には神と仏が聖徳太子の頃から入り混じるのであるが・・・山の神もまた仏教と混交していく。

修験者の修験するものが・・・神の道なのか・・・仏の教えなのか・・・それは定かではないのである。

杣人が盗賊の集団であると・・・匂わせるこのドラマでは・・・商人と武家が別格であるかのようにも匂わせる。

士農工商というまだ確立されていない制度が・・・反映してしまっているのである。

まあ・・・ゆとりというものは・・・そういう歴史音痴を許容する集団とも言えるのだった。

織田信長も豊臣秀吉も・・・そして徳川家康も・・・類まれな経済人であり・・・大商人だったという発想が欠けているのだ。(仮記事です)

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永禄九年、井伊直虎誘拐事件(柳楽優弥)

さて・・・もう・・・これは大河ドラマではないと断言したいところだが・・・大河ドラマの枠でやっている以上・・・正真正銘の大河ドラマなのである。

なんていうか・・よい子の戦国時代なんだよな。

あるいはゆとりの戦国時代っていうか。

ホモサピエンスの生き方には二通りあって・・・社会的に独立して個のヒトとして生きるか・・・社会的に共存する人間として生きるかの選択肢がある。

もちろん・・・自由や平等という理想と同じでその境界線は非常に曖昧だ。

いかに個人として生きようとしても・・・その欲望の中には生殖行為が含まれているので家族というしがらみは生じやすい。

子を捨て親を殺すのは河原者の務めであるが・・・この世の掟はコンプライアンス(追従)を求めるわけである。

このドラマの根底には・・・そういう妥協の産物と・・・作者の譲れない何かが火花を散らしているような気がするが・・・それがやや乙女チックに傾斜するので・・・辟易するわけである。

社会は人間集団の維持を第一義とする。

そのために様々な制度が考案されるのである。

階級、法律、刑罰・・・様々なルールが個人を縛りつけて行く。

朝廷には朝廷の・・・公家には公家の・・・武家には武家の・・・そして盗賊には盗賊のおきてがあるのだった。

武田信玄の父親・信虎は興にまかせて妊婦の腹を切り裂き・・・人道上の罪で国外追放となった。

しかし・・・見方によっては・・・子が父を処分した下剋上である。

それをどちらで見せて行くかは・・・もはや好みの問題だろう。

罪を憎んで人を憎まずという・・・次郎法師の心情が・・・すけこましにおぼれやすい乙女の視点で描かれるという不気味さを受け入れれば・・・まあ・・・楽しめないこともないのかな。

この年の暮れ・・・永禄九年(1567年)十二月・・・松平家康は従五位三河守となり徳川氏に改姓する。

徳川家康がまもなく誕生するわけである。

その頃・・・やがて家康の家臣となる井伊直政の養母であり再従姉(またいとこ)である井伊直虎が気賀を根城とする盗賊団に拉致監禁されたかどうかはもちろん定かではない。(仮記事です・・・もうお気づきでしょうが・・・本記事になることはないと考えます)

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2017年6月 4日 (日)

永禄八年、ヒャラ~リヒャラリコヒャラリラリ~(髙橋ひかる)

井伊家の伝承によれば永禄八年(1565年)に井伊直虎が家督を継承したことになっている。

この年は遠江国の国人領主たちが親今川氏と反今川氏に分かれて抗争した遠州忩劇の未だ渦中にある。

つまり・・・遠江国は内乱状態なのである。

そもそも・・・井伊直虎が家督を継いだのは反今川の旗手である曳馬城主・飯尾連竜を攻めた井伊家の当主である中野直由が討死してしまったからなのである。

飯尾連竜はこの年の暮れに今川氏真によって謀殺されるが・・・曳馬城に籠城した飯尾家臣団の抵抗は永禄九年も続いている。

つまり・・・井伊家はその戦の真っ最中にあるわけで・・・こんなにうすらぼんやりとした日々を送っていたわけがないのだ。

いや・・・そうであってほしいという願いもむなしく・・・井伊谷に周辺は・・・まるで江戸時代の小藩のようにのんびりと産業振興に夢中になっているのだった。

いや・・・それどころか・・・死んだ許嫁が亡命先で現地の女と子を為していたことで・・・主人公の心が乱れに乱れるという・・・なんのこっちゃ展開である。

いや・・・もういやああああああ。

しかし・・・高瀬姫を演じる高橋ひかるが・・・とても好みなのですべてを水に流すキッドなのでした。(仮記事です)

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