永禄十一年、寿桂尼死去(柴咲コウ)
遠江国を巡って争う今川家と徳川家・・・その渦中に翻弄される国人衆井伊家をめぐる妄想である。
もちろんキッドの妄想だが・・・大河ドラマも大いなる妄想にすぎない。
歴史の断片をつなぎあわせ・・・パッチワークのように仕上げていけばそれなりの作品に仕上がるわけである。
見応えがあるかどうかは・・・視聴者の問題である。
今日はヒロシマの日だ。
人類がどれだけ残酷なことができるかをいろいろと思いめぐらすことのできる日でもある。
あの日の広島を体験した人も次々と生を終えこの世から消滅していく。
あの世とはこの世から消え去った人々にとっての今の世なのである。
少女たちが戦闘機の部品を作っているような国家的非常時に一般市民と軍人を差別するのは難しい。
罪のない一般市民などというのは軍人がすべて罪人であるかのような虚妄である。
総力戦において敵国民はすべて戦闘力に還元されるのである。
無差別爆撃などという呼称はむなしい言葉遊びにすぎない。
核が廃絶されれば人類の歴史はただヒロシマ以前に巻き戻されるだけである。
たちまち新たな残虐行為が生み出されるだろう。
そのような言動を連ねれば心無い人と後ろ指をさされるかもしれない。
しかし・・・良薬は口に苦しなのである。(仮記事です)
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