2018年11月21日 (水)

学習障害者、発達障害者、そして健常者のいない世界(榮倉奈々)

ドラマのレビューを続けるためにオンエアされるすべてのドラマを見ることにちょっと疲れたのでしばらくお休みしていたのだが気が付けば長期休眠に突入していたのだった。

レビューをしないととにかく自分の好みにあわないドラマを無理に視聴する必要がないので個人的には非常に快適な日々でした。

もちろんこの世につまらないドラマなどはなく面白くないのは単に視聴者が不勉強だからである。

とはいえ…あまりに未熟で拙速で不出来な作品というのがないわけではない。

だがものすごく豊潤で深みがあり素晴らしい作品もあるのだった。

僕らは奇跡でできている・第1~7話』(フジテレビ20181009~)脚本・橋部敦子 、演出・河野圭太(他)を見た。大杉漣のいなくなった世界の僕シリーズが展開された僕らの物語なのである。人間が人間であるためには人間としての調教が必要なのであるがそれを否とする野生の反逆が根底にあります。

キッドが生まれた頃には発達障害というカテゴリーはなく、ただエジソンはダメな子供だったが天才で偉人だったという物語のみがあった。

今は発達障害というカテゴリーがあり、学習障害というカテゴリーがあり、知覚障害というカテゴリーがある。

ダメな子にはそれぞれのカテゴリーに応じて、適切な対処が可能であるように思われている。

だが世界的なトップリーダーが50億円脱税することを見て見ぬふりをする社会である。

あらゆる病気が専門家の診断をあおげばなんとかなるような気もするがあまねくコンビニエンスストアが進出する国家でも専門医のいないド田舎は存在するのである。

発達障害なんて知らないという一部地域が存在することは十分に想像できるわけである。

このドラマのすごいところは明らかに発達障害とか学習障害とかいうカテゴリーを発声しないアクロバットさにある。

主人公の相河一輝(高橋一生)はあきらかに発達障害的な匂いを醸し出すいわゆる空気を読まない都市文化大学の動物行動学の講師である。

周囲の人々・・・学生や同僚たちは一輝の言動に戸惑う。

しかし・・・発達障害はもちろんコミュニケーション障害などという怪しいカテゴリーが存在しない世界では「彼は○○だから」という一言で片づけられないのである。

これは機知外に刃物という言葉の存在不能となった世界に準じる軽妙洒脱な設定といえるだろう。

一方で発達障害が軽度な健常者であるふつうの人々の周辺に水本歯科クリニックの水本育実(榮倉奈々)が配置される。

彼女はドラマ「僕と彼女と彼女の生きる道」(2004年フジテレビ)の小柳義朗(大杉漣)のポジションである。エリートとして勤労一筋の仕事人間だった義朗は仕事よりも家庭を優先し始めた息子の徹朗(草彅剛)の言動に激しく戸惑うのだった。

歯科医と患者として一輝に出会った育実は50億円脱税することが頂点の経営者として「すごい人間」になることが人としてまちがっているかもしれないと動揺するのだった。

おいおい・・・それはどうかな。

一方、虫歯が縁で知り合った小学生・宮本虹一(川口和空)と意気投合する一輝。

女児ではなく男児の設定なのは連れまわしたり家に連れ帰ったりするので別の問題が発生しないための対処である。

虹一もまた「教科書を読むと頭が痛くなる」が「絵を描くことは大好き」というダメな子なのである。

誤解を招くぞ。

虹一の母親・涼子(松本若菜)は「やればできる」と言われる虹一を「ふつうの子供」にしようと必死なのである。

なにしろ・・・発達障害といカテゴリーが存在しないので教師も母親も「ダメな子」としか認識できないのである。

明らかに非常識な言動をする一輝から虹一を引き離し、ふつうになるための学習塾を強要する母親。

仮病を使って登校拒否し家出をした虹一は一輝の家に逃亡する。

小学聖男色日記ではないので一輝の家には家政婦の山田さん(戸田恵子)が配置されているのだった。

やがて観察眼に優れた一輝は虹一の視覚に障害があることを推測する。

視覚過敏による特殊な読字障害による学習障害によって発達障害的な感じになっているという虹一の設定である。

発達障害の一言で片づけない脚本家の執念を感じる展開なのであった。

ダメな子供ではなくダメな母親だったと傷心する涼子はさておき・・・動物行動学者の一輝にけだものとしてあつかわれた育美はいつしか頬をほんのりそめるのであった。

幸福を追求するときが幸福なのか…幸福なんて知らないのが幸福なのか。

人はよくわからないで生きている。

関連するキッドのブログ→東京タラレバ娘 

あくまで一時帰宅です(=^・^=)

| | コメント (10) | トラックバック (1)

2017年8月 6日 (日)

永禄十一年、寿桂尼死去(柴咲コウ)

遠江国を巡って争う今川家と徳川家・・・その渦中に翻弄される国人衆井伊家をめぐる妄想である。

もちろんキッドの妄想だが・・・大河ドラマも大いなる妄想にすぎない。

歴史の断片をつなぎあわせ・・・パッチワークのように仕上げていけばそれなりの作品に仕上がるわけである。

見応えがあるかどうかは・・・視聴者の問題である。

今日はヒロシマの日だ。

人類がどれだけ残酷なことができるかをいろいろと思いめぐらすことのできる日でもある。

あの日の広島を体験した人も次々と生を終えこの世から消滅していく。

あの世とはこの世から消え去った人々にとっての今の世なのである。

少女たちが戦闘機の部品を作っているような国家的非常時に一般市民と軍人を差別するのは難しい。

罪のない一般市民などというのは軍人がすべて罪人であるかのような虚妄である。

総力戦において敵国民はすべて戦闘力に還元されるのである。

無差別爆撃などという呼称はむなしい言葉遊びにすぎない。

核が廃絶されれば人類の歴史はただヒロシマ以前に巻き戻されるだけである。

たちまち新たな残虐行為が生み出されるだろう。

そのような言動を連ねれば心無い人と後ろ指をさされるかもしれない。

しかし・・・良薬は口に苦しなのである。(仮記事です)


2

| | コメント (16) | トラックバック (0)

2017年7月 3日 (月)

永禄十年、おんな城主気賀へ(柴咲コウ)

遠江国を巡って争う今川家と徳川家・・・その渦中に翻弄される国人衆井伊家である。

この記事は大河ドラマのレビューの前フリなのであるが・・・すでに第何話とかのデータにさえ触れずに更新をつづけているわけである。

だって・・・大河ドラマというよりは小川ドラマなんだもの。

処女であるがゆえに・・・ずっと乙女であり続ける主人公の・・・恋に恋する心が戦国時代に吹き荒れるのである。

もはや・・・言葉を失う展開である。

おりしも・・・都議選で・・・与党は歴史的惨敗で野党に転落したわけである。

更年期障害で我を失った国会議員が揺らがせた男女雇用機会均等法の世界を理知的な女主人公がピチピチのレディースを率いて救済したわけである。

しかし・・・おっさんたちを駆逐した若者たちもいつかはおっさんになるんだなあ。

気賀の堀川城にはおそろしい運命が待ち受けているわけだが・・・。

そうなってしまうには理由があることを・・・描いてくれるといいと思うよ。(仮記事です)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

永禄十年、織田信長は美濃国で勝利し北条氏政は上総国で敗北す(柴咲コウ)

遠江国を巡って争う今川家と徳川家・・・その背後には北条家と織田家がある。

永禄十年、東へと勢力伸張をはかった北条氏政は上総国で大敗を喫し、北に進出した織田信長は美濃国を支配下におさめる。

風が吹いているのである。

今川家にとってはものすごい逆風である。

三河国を失った今川家は対徳川の防衛ラインを構築する必要に迫られる。

その前衛の主軸となるのが大沢基胤を城主とする浜名湖岸の堀江城である。

堀江城の大沢家は鎌倉以来の有力国衆である。

この時期、堀江城の支城として急遽、築城されたと言われるのが気賀の堀川城である。

「おんな城主直虎」では主人公と野武士のラブロマンスをからめて気賀を舞台としたフィクションがくりひろげられているのだが・・・まあ・・・お笑いの一種である。

堀川城の守将の一人、新田友作と瀬戸方久の同一人物説もからめて・・・物語はあやしく進展していくのだった。(仮記事です)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月 2日 (日)

永禄十年、織田五徳と徳川信康婚姻す(柴咲コウ)

遠江国を巡って今川家と徳川家が鬩ぎ合う永禄十年。

駿河進出を狙う武田家と遠江を狙う徳川家の利害が一致する。

織田と徳川は同盟関係にあるがその絆を高めるための婚姻である。

信長はすでに武田家の後継者候補との婚姻を実現させている。

これによって永禄十年には織田・武田・徳川が同盟関係となったのである。

駿河と遠江二か国の領主である今川氏真は美濃尾張伊勢三河信濃甲斐の六か国の同盟と対峙していることになる。

今川家には相模伊豆武蔵を領する北条家が同盟者としてあるが・・・北条家の関心は関東の経営にあり・・・求心力を失いつつある今川家にどれほどの援助を与えるか不透明である。

氏真は必死だっただろう。

そのために遠江国の国人衆の締め付けを行い・・・結果として国人衆の謀反を招き寄せる。

駿府への忠誠心を強要するあまりに国力そのものを減衰させていくわけである。

国人衆同士の政略結婚をいくらすすめても・・・一族郎党すべてが裏切ればはいそれまでよなのである。(仮記事です)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月12日 (月)

永禄九年、近藤康用が井伊谷領に侵入す(柴咲コウ)

遠江国の名の由来は浜名湖にある。

近江国の琵琶湖に対応するわけである。

東海道は浜名湖の南側、それに対して姫街道は北側である。

明応七年(1498年)の大地震により淡水湖だった浜名湖は汽水湖となった。

つまり・・・東海道は分断されたのである。

そのために・・・姫街道側が発展することになる。

永禄九年・・・三河国はほぼ松平家康の支配下に入ったが・・・遠江国、信濃国と接する奥三河の国衆はまだ今川支配体制に属していたものもあった。

三河国宇利城の近藤康用もその一人である。

ある意味では・・・井伊谷より最前線であり・・・今川家に謀反する疑いで言えば井伊家より濃厚なのである。

そんな近藤康用が・・・井伊家の目付(監視役)であるというのはおかしな話であるが・・・要するに疑心暗鬼の戦国時代においては相互監視体制が日常化していたのだと考えることもできる。

戦国時代を全国的な縄張り争いと考えれば・・・三河国、遠江国、信濃国に接する土地は当然・・・安穏と過ごせる土地ではなかったのである。

同時に今川家の子分として近藤家は同じ子分の井伊家と縄張り争いもするわけである。

近藤康用の子、秀用は徳川家康に出仕し紆余曲折の後に井伊谷藩主にまで出世する。

井伊谷に関して言えば・・・近藤家は井伊家に対して縄張り争いで勝利する家柄なのだった。

最も井伊谷藩は一万五千石だが井伊直政の近江国佐和山藩は十八万石である。(仮記事です)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

永禄九年、井伊直虎杣人を雇用する(柴咲コウ)

林業の従事者はかっては杣工(そまのたくみ)と称せられたという。

工は匠であり・・・要するに専門的な技術者である。

職人的な知識や技術をもって成立する山の民である。

木造建築を基本とするわが国の権力者にとって・・・材木を生み出す杣人たちは重要な集団なのである。

平地の人里に棲む人々にとって山奥に棲む杣人たちは異人の一種でもあり・・・ある意味では鬼人であった。

ルールを異にする集団は反目するのが常であるが・・・領域がことなるために摩擦も少ないのである。

平地の人々からみれば山の人々はアウトロー(法外)である。

時には山賊との区別は曖昧になる。

しかし・・・山人にも社会的な集団もあれば掟もあるのだった。

当然・・・信仰もある。

山の神に対する信仰心は農民が鎮守の森を信仰するように篤いのである。

日本には神と仏が聖徳太子の頃から入り混じるのであるが・・・山の神もまた仏教と混交していく。

修験者の修験するものが・・・神の道なのか・・・仏の教えなのか・・・それは定かではないのである。

杣人が盗賊の集団であると・・・匂わせるこのドラマでは・・・商人と武家が別格であるかのようにも匂わせる。

士農工商というまだ確立されていない制度が・・・反映してしまっているのである。

まあ・・・ゆとりというものは・・・そういう歴史音痴を許容する集団とも言えるのだった。

織田信長も豊臣秀吉も・・・そして徳川家康も・・・類まれな経済人であり・・・大商人だったという発想が欠けているのだ。(仮記事です)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

永禄九年、井伊直虎誘拐事件(柳楽優弥)

さて・・・もう・・・これは大河ドラマではないと断言したいところだが・・・大河ドラマの枠でやっている以上・・・正真正銘の大河ドラマなのである。

なんていうか・・よい子の戦国時代なんだよな。

あるいはゆとりの戦国時代っていうか。

ホモサピエンスの生き方には二通りあって・・・社会的に独立して個のヒトとして生きるか・・・社会的に共存する人間として生きるかの選択肢がある。

もちろん・・・自由や平等という理想と同じでその境界線は非常に曖昧だ。

いかに個人として生きようとしても・・・その欲望の中には生殖行為が含まれているので家族というしがらみは生じやすい。

子を捨て親を殺すのは河原者の務めであるが・・・この世の掟はコンプライアンス(追従)を求めるわけである。

このドラマの根底には・・・そういう妥協の産物と・・・作者の譲れない何かが火花を散らしているような気がするが・・・それがやや乙女チックに傾斜するので・・・辟易するわけである。

社会は人間集団の維持を第一義とする。

そのために様々な制度が考案されるのである。

階級、法律、刑罰・・・様々なルールが個人を縛りつけて行く。

朝廷には朝廷の・・・公家には公家の・・・武家には武家の・・・そして盗賊には盗賊のおきてがあるのだった。

武田信玄の父親・信虎は興にまかせて妊婦の腹を切り裂き・・・人道上の罪で国外追放となった。

しかし・・・見方によっては・・・子が父を処分した下剋上である。

それをどちらで見せて行くかは・・・もはや好みの問題だろう。

罪を憎んで人を憎まずという・・・次郎法師の心情が・・・すけこましにおぼれやすい乙女の視点で描かれるという不気味さを受け入れれば・・・まあ・・・楽しめないこともないのかな。

この年の暮れ・・・永禄九年(1567年)十二月・・・松平家康は従五位三河守となり徳川氏に改姓する。

徳川家康がまもなく誕生するわけである。

その頃・・・やがて家康の家臣となる井伊直政の養母であり再従姉(またいとこ)である井伊直虎が気賀を根城とする盗賊団に拉致監禁されたかどうかはもちろん定かではない。(仮記事です・・・もうお気づきでしょうが・・・本記事になることはないと考えます)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月 4日 (日)

永禄八年、ヒャラ~リヒャラリコヒャラリラリ~(髙橋ひかる)

井伊家の伝承によれば永禄八年(1565年)に井伊直虎が家督を継承したことになっている。

この年は遠江国の国人領主たちが親今川氏と反今川氏に分かれて抗争した遠州忩劇の未だ渦中にある。

つまり・・・遠江国は内乱状態なのである。

そもそも・・・井伊直虎が家督を継いだのは反今川の旗手である曳馬城主・飯尾連竜を攻めた井伊家の当主である中野直由が討死してしまったからなのである。

飯尾連竜はこの年の暮れに今川氏真によって謀殺されるが・・・曳馬城に籠城した飯尾家臣団の抵抗は永禄九年も続いている。

つまり・・・井伊家はその戦の真っ最中にあるわけで・・・こんなにうすらぼんやりとした日々を送っていたわけがないのだ。

いや・・・そうであってほしいという願いもむなしく・・・井伊谷に周辺は・・・まるで江戸時代の小藩のようにのんびりと産業振興に夢中になっているのだった。

いや・・・それどころか・・・死んだ許嫁が亡命先で現地の女と子を為していたことで・・・主人公の心が乱れに乱れるという・・・なんのこっちゃ展開である。

いや・・・もういやああああああ。

しかし・・・高瀬姫を演じる高橋ひかるが・・・とても好みなのですべてを水に流すキッドなのでした。(仮記事です)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月14日 (日)

永禄八年、武田信玄が嫡男義信を幽閉す(柴咲コウ)

うわあ・・・まだ永禄八年(1565年)なのかよ・・・。

永禄四年(1561年)生れとされる虎松(井伊直政)が数えで五歳だからそうなんだけどね。

数え年というのは生れた年を一歳と数える年齢のことである。

十二月三十一日に生れると翌日には数えで二歳になります。

満年齢だと一歳にもならないので・・・感覚に狂いが生じるひとつの要素です。

数え年だと誕生日に年をとるのではなくて・・・みんな正月に年をとるわけです。

さて・・・松平家康の家臣・酒井忠次が今川氏真の家臣・小原鎮実の守る三河国吉田城を開城させた年である。

だから、まだ徳川家康にはなっていないのだった。

武田信玄が嫡男・義信を幽閉するのは十月のこととされている。義信の傅役である飯富虎昌らが信玄暗殺を計画していたというのがその理由ということになる。

義信の正室となっている嶺松院の母は今川義元の正室で武田信玄の姉である定恵院である。

つまり従兄妹同士の婚姻となる。これによって武田義信と今川氏真は従兄弟であり義兄弟にもなっているのだった。

その義信が幽閉されるというのは・・・今川家を揺るがす大事件なのである。

一方・・・この年・・・織田信長の姪である龍勝院と信玄の四男である勝頼が婚姻したとされている。

今川家にとって・・・それもまた大事件であっただろう。

義信の幽閉とともに嶺松院は離縁されたという説もあるが定かではない。

とにかく・・・まだ・・・永禄八年だったんだな・・・。

で、『おんな城主  直虎・第18回』(NHK総合20170501PM8~)脚本・森下佳子、演出・藤並英樹を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。ついに次回が始ってしまう感じである。読者の皆様には申しわけないと思うのだが・・・画伯の描き下ろしもないし・・・記事作成者のモチベーションが・・・さて、数え年ついでに以前の記事にも書いた歴史ドラマ的な記述の問題点をもう一度。年号と西暦の関係についてである。西暦と年号の月日は必ずしも一致しない。たとえば三河国上ノ郷城主の鵜殿長照が討死したのは永禄五年二月四日(1562年3月8日)のことであるが・・・虎松こと井伊直政の父・井伊直親が討死するのは永禄五年十二月十四日(1563年1月8日)のことなのである。これを略すと長照は永禄五年(1562年)に死没し、直親は永禄五年(1563年)に死没したことになる。おわかりだろうか・・・正確な記述なのだが・・・人によっては書き間違いと誤解する可能性があるのではないかと・・・思うのだった。そもそも・・・当時は全国一律のカレンダーがあるわけではなく・・・地方それぞれに暦があったと言われる。同じ一月一日でも・・・それが確実に同じ日だったかどうかは・・・いろいろと断言しづらいことになる。当時の教養人が日記を書いていてその日付が歴史の一部になるわけだが・・・テレビの全国放送があるわけではないのである・・・各地の出来事は手紙や噂で伝わってくるわけである。それが本当はいつの出来事なのか・・・正確性には疑いが生じる。このように・・・戦国時代のあれやこれやは・・・もやもやの中に包まれているわけだが・・・あんまり・・・もやもやされてもなあ・・・と思うのだった。

Naotora018天文十年(1541年)、甲斐武田家の第十八代当主・武田信虎は嫡男・晴信(武田信玄)によって駿河に追放される。 天文十九年、信玄の姉で今川義元の正室の定恵院が死去。 天文二十一年(1552年)に定恵院の娘である嶺松院が信玄の嫡男・武田義信の正室となる。永禄三年(1560年)、桶狭間の合戦で義元が討死。永禄八年(1565年)、信玄の家臣であり、義信の傅役だった飯富虎昌に信玄暗殺の密議をした謀反の疑いがかけられる。十月、虎昌は自害。義信は謀反に加担した疑いで甲府東光寺に幽閉される。この時、嶺松院は義信と離縁したと言われる。十一月、信玄の四男・諏訪勝頼と織田信長の姪・龍勝院の婚姻が成立されたとされる。織田家と今川家は交戦中であり、同盟国である武田家が織田家と婚姻関係を結ぶことは今川家にとって裏切り行為であったと言える。勝頼と龍勝院の婚姻は史実であるがその時期については伝承の域を出ない。少なくとも武田今川同盟の象徴である武田義信と嶺松院の婚姻関係の解除や義信自身の幽閉は・・・今川家に衝撃をもたらしたと推測できるのだった。

秋葉山は信濃国、遠江国の国境を結ぶ霊山である。

古くから火伏せの神が宿ると言われる。

秋葉大権現はその体現者である天狗であった。

その実態は山の民であり、修験者である古き忍びの一族である。

山の神聖な空気の中・・・神通力を求める修験の者たちは過酷な行の果てに万人に一人の低確率でもたらされる奇跡を信じているのだった。

戦国時代に名を残す忍者たちの何人かは・・・そうした修行を行ったものであったとされる。

猿のように樹間を飛ぶ猿飛の術を会得したとされる佐助、念力によって霧を呼ぶことの出来た才蔵などはそうした神通力を会得したものたちである。

しかし・・・多くのものは狩人として・・・あるいは杣人として・・・山間で暮らす山の民にすぎない。

過酷な山の暮らしが強靭な肉体を作り上げ・・・時に兵士として有用だったのである。

だが・・・山の民は・・・官の支配を嫌い・・・独立自尊の気概が強かった。

秋葉山の修験のものは散在する山の民たちのネットワークの要であり・・・潤滑油の役割を果たしている。

松下一族はそうした修験のものの家系であった。

秋葉の山の主を自称する松下蓮昌もその一人である。

蓮昌は・・・山の民や天龍川周辺の農民の子を預かり・・・見所ありとみれば忍びとして育成するのである。

十歳にもみたない常慶坊もその一人であった。

しかし・・・常慶坊は早熟で天才の片鱗を見せている。

蓮昌は・・・常慶坊の覚えの早さに驚愕するのだった。

一を聞いて十を知る・・・常慶坊は・・・そういう才能を持っていたのである。

知能だけでなく体力も抜群であった。

常慶坊は・・・すでに大人顔負けの体術を会得している。

蓮昌はひそかに・・・常慶坊を「もののけ」として惧れている。

秋葉山の社に・・・常慶坊が姿を見せたのは紅葉の季節だった。

「蓮昌さま・・・ただいま・・・もどりましてございます」

「よう・・・もどった・・・甲斐の様子はどうだった」

「府中は静かなものでございました」

「武田のお家の動きはいかがか」

「あれは・・・信玄公の色香の迷い・・・正室より・・・側室に気が動いたのでございます」

「色香の迷い・・・」

「嫡男殿は・・・寺にて大人しく謹慎しております」

「さようか・・・」

「信玄公は・・・諏訪勝頼に特別目をかけておいでです」

「では・・・今回の騒動は・・・色ごとか・・・」

「いいえ・・・信玄公は・・・数年のうちに・・・駿河に攻めよせましょう」

「なんと・・・そのわけは・・・」

「それが戦国の世というものではございませんか」

子供に諭されて・・・蓮昌は鼻白んだ。

関連するキッドのブログ→第17話のレビュー

| | コメント (0) | トラックバック (1)

より以前の記事一覧